誰かの力になれる幸せ

授業見学に来ていただいたことから生まれた「つながり」からの、嬉しいことの2つ目です。
生物教育学会の懇親会で、今年度授業見学に来ていただいた広島の先生と長野の先生とお話ししました。
広島の先生も、長野の先生も、僕の授業見学と対話をきっかけに、帰ってからすぐにAL型授業を始めたそうです。
2時間弱の懇親会のほとんどを、この対話に使いました。

長野の先生は、とても充実した実践の様子を報告してくださいました。
来年度の授業の構想を練る中で、どうしてもうまくまとまらず、「だったら、一度AL型授業を見にいこう」と思い立って見学に来ていただいたそうです。
実際に見学いただいての大きな気付きは、「こうしなきゃいけないという型ではなく、クラスの雰囲気づくりが大事なんだ!」ということだったそうです。
担任としてのクラス経営での雰囲気づくりと似ていると感じられたそうで、「それと同じことを授業でやればいいのか!」と、しっくりきたそうです。
そして、「来年度からと言わず、今年度、すぐに試してみよう!」と思い、すぐに実践し、すでに、明らかな変容が生徒に見られているそうです。
実践のお話を聞きながら、様々な場面での思考と、そこからの判断をお聞きし、その素晴らしさに驚きました。
おそらく、板山先生と同じく、以前から「要素」を持っていた方は、いとも簡単にこの授業にフィットし、見事な実践が可能なのだと思いました。

広島の先生は、生徒からの反発に苦しんでいるということでした。
話を伺うと、「あるある」ネタでした。
でも、いくら「あるある」で、「想定の範囲内」だとしても、落ち込み、悩み、苦しんでしまいます。
「僕も同じで苦しんでます」と、自分の現状の話もしました。
「大野先生でもそうなんですね!なんだかホッとしました・・・」と言われました。
そりゃあそうです。
何事もなく、皆から好かれて、生徒がモリモリ学び、最初から最後まで皆がいい笑顔でキラキラ輝き続ける授業などというのは幻想です。
でも、僕はそんな「幻想」を抱かれているのかもしれません。
そんなことはありません。
そして、そのことを共有するだけで、「皆それぞれの状況で頑張ってる。明日も頑張ろう!」という気持ちがわいてくるのだと思います。
それは「傷のなめ合い」ということではありません。
「同志」としての「心のつながり」を感じるのだと思います。
決してポジティブな話ばかりをしていたわけではありません。
でも、それを語る様子はポジティブですし、姿勢も完全に前向きです。

広島の先生はこんなことをおっしゃっていました。
「もう、色々なことが見えてしまった以上、以前のような授業に戻すことはできない」と。
潜在化していた課題が顕在化する。
それを、再び潜在化させることはできるかもしれない。
でも、「見えてしまった」からには、それを潜在化させることはできないのです。

成功事例の共有ではありませんが、かといって失敗事例の共有でもありません。
以前も書いた「挑戦事例」の共有です。
それは、「失敗」ではなく「挑戦」なので、前向きです。
でも、そのためには、唯一、それを語らう「仲間」が必要なのだと思います。

ほとんど料理も食べず、お酒も飲まず、ひたすらに話し続けました。
せっかく遠方から来ていただいているのに、この対話だけで終わってしまうのも申し訳ないと思いましたが、何しろ楽しい時間でした。
広島と長野。
そして、最後に群馬のK先生にも少しだけ加わっていただきました。
僕の授業見学つながりで、こうして様々な地域の人たちがつながることができる。
しかも、対面で話せる。
全国大会の恩恵に預かった時間でした。

日中は、『学び合い』フォーラムで出会った宮城の先生にも声をかけていただきました。
授業見学に来ていただいた愛媛の先生にも声をかけていただきました。

口頭発表や記念講演は素晴らしいものでした。
でも、それ以上に、たった一日で、これだけの方々と再会し、対話できる、そのことが全国大会の価値なのだろうと思います。
僕は、自分などでも、遠い場所の誰かの力になれていることもある、ということを強く実感しました。

発表だと、どうしても「かっこつける」ところもあります。
でも、そうではなく、うまくいかないことも含めて、ありのままを共有し、対話する。
その大切さを、あらためて感じました。

種は、芽吹くかどうかにかかわらず、蒔き続けることが大事です。
一つも芽吹かないかもしれませんが、蒔かないことには芽吹くことはありません。
何かの意味があると信じて、種をまき続けよう。
そんな思いをあらたにした一日でした。