"教員のやりがい"を感じた夜

今日は、井草高校の同窓会に呼んでもらい、参加してきました。
卒業して7年目。
大学を出て社会人3年目の人が多く、社会人として自立しつつあり、そこで時の流れを感じます。
でも、その部分を抜きにすれば、驚くほど「あの頃」のままでした(少なくとも僕にとっては)。
教室の中でよく見た景色が、7年経っても目の前で繰り広げられている様に、不思議な感覚を覚えました。


参加した全ての皆さんと、ほんの少しでもお話できました。
そして、それぞれに自分の人生を歩んでいることを知りました。
卒業後、全く情報がなかった人とも直接的会えたり、間接的に近況を聞けたりして、本当にいい時間でした。


「感謝して欲しい」とは思わないけれど、こうして卒業してから顔を見れて、近況を聞き、幸せそうな笑顔を見られることは、何よりの喜びです。
3Bの皆さん、そうは見えなかったかもしれないけれど、僕は皆と会えて話せて、嬉しくて嬉しくて、胸がいっぱいでした。


僕は「教員になって、卒業生を出す」ことが、中学時代からの夢でした。
その夢を一緒に叶えてくれた、思い入れの深い「生徒たち」です。
今から振り返れば、自分の勝手な「思い入れ」に付き合わせたことを申し訳なく思う気持ちもありますが・・・。
でも、最後までこんな担任に付き合ってくれて、そのことに感謝です。
僕は、皆さんと過ごした時間で成長させてもらいました。
どうもありがとう。


「教員としてのやりがい」を聞かれたときに、最近は答えに窮する自分がいました。
今目の前でどんなことが展開し、短期間でどんな成長が見られたとしても、それで「やりがい」を感じることはほとんどなくなってきました。
卒業後にどうなるか、自分の「幸せ」を実現できているか。
そこを見ないと何もできたことにならない、と。
それは窮屈な考え方だし、窮屈な生き方だなぁとも思うのですが、今はやっぱりそんなことを考えています。


今日は、自分の教員人生でも初めてと言ってもよい「社会人になってからのその後」を知ることができる機会でした。
今日見た皆さんの姿は、じんわりと心を温めてくれて、あまり感じたことのない感情で、どう表現したらよいか戸惑っています。
でも、今日の時間は、僕に教員としての「やりがい」を確かに感じさせてくれるものでしたし、明日から頑張るための強烈なエネルギーをもらえるものでした。


今日のこの感情を、せめて文章に残しておきたいと思いました。
きっとそれは、この先の人生で僕の背中を押してくれます。
思えば、このクラスには何度も背中を押されてきました。
この先、仮にもう会うことがなかったとしても、僕は今日皆に会えてことで満たされてしまいました。
今日のこの日で、僕が持っていた全ての「引っかかり」は消えました。
ある人は、「今日でもう先生と会うこともないかもしれないから」と言って写真を一緒に撮りました。
冗談のつもりかもしれないけれど、僕は「それで本当にいいんだろうなぁ」と自然に思えました。
もちろん、また会って馬鹿な話をしたいということがあれば、行ってみたいなぁと思いますし、何か壁にぶつかったときに少しでも力になれるならなりたいなぁとも思います。
でも、今日以後は「便りがないのがよい便り」の心境になれると自然に思えました。


終電も逃してしまい、最寄駅手前までしかいかない中央線に揺られながら、眠気もなく、かといって興奮するでもなく、穏やかに幸せを噛み締める午前1時過ぎ。
こんな夜をまた過ごしてみたい。
また明日から頑張ります。