「いい授業」と「いい先生」

先日の武蔵大学での講演会で、「いい授業」について考えてもらっていたとき、ある学生さんがこんなことを言いました。


「いい授業」って言われるとあまりピンとこないけど、「いい先生」って考えると、すぐ顔が浮かぶ。
結局、「いい先生」がいて、その先生がやってる授業が「いい授業」だったと思う。


これは、「やり方」ではなくて「在り方」がより重要、という文脈で考えると、ものすごく示唆深い意見だと思いました。
当然、次の「問い」は「いい先生とは何か」ということになります。
僕は「在り方」の問題だろうと考えています。