矛盾しているようで矛盾していない

西川先生が書かれた以下の文章から、考えました。


"なお、上級者向けは口伝が主です。だって、上級者向けには入門者向けと真逆なことを言うので誤解されます。例えば、入門者向けにはネームプレートの利用を薦めます。しかし、上級になると薦めません。入門者向けには全員達成をこだわることを求めますが、上級者には全員達成しなくていいんだよと言います。私は入門者向けには教材研究をするなと書きます。でも、上級者には教材研究は大事だと話します。分かる段階にならないと、両者は矛盾しないことが分かりませんから初心者向けの本には殆ど書きません。"


「禅」の世界観との共通点を感じます。
最初は矛盾しているように感じるけれど、それがある時「この表現しかない」となるのだと思います。
でも、それは、その言葉通りでは伝えることができないものかもしれません。
例えば、「しっかりと教えるためには、教えないことが大切」という表現はどうでしょうか。
あるいは、「全員達成にこだわればこだわるほど全員達成できなくなり、全員達成から自由になることで全員達成に近づける」という表現はどうでしょうか。


これは「理屈」の問題というより、「感覚」の問題のような気がします。
僕自身は、禅の世界をわかりたいと思いますが、「理屈」では全く理解できません。
それでもなお、わかりたいと思います。
そこに少しでも近づくために、「形」があるのだと思います。
『学び合い』で言えば、例えば「全員達成」という形です。
その型がある程度自分のものになれば、「全員達成しない」ということの意味が違って見えるのかもしれません。
これは、守破離で考えるととわかりやすいように思います。


そうしてもがいて、しばらくしてから「矛盾だらけの意味不明な文章」をもう一度読んで、「何か少しでもわかる部分ができた」という自分を感じたいと思います。
僕にはまだまだ時間がかかりそうです。