質的転換とは

アクティブ・ラーニングについての説明で、
teachからlearnへの質的転換
という表現が使われていました。
僕はこれを「教える」から「学ぶ」への質的転換
として解釈していました。


先日、あるきっかけで、ふと以下のような疑問が浮かびました。


「教員が教える」から「生徒が学ぶ」への転換というけれど、主語がそもそも変わっている。
それぞれの状態で、生徒や教員は、どんな状態なのだろうか?


皆さんなら、「教員が教える」に対して、生徒をどのように表現しますか?
また、「生徒が学ぶ」に対して、教員をどのように表現しますか?


僕自身は、
「教員が教える/生徒が習う」
「生徒が学ぶ/教員が引き出す」
と表現しました。


「習う」については、「学ぶと習うの違い」で検索すると色々出てきますが、「教えてくれる人ありき」の表現だと思います。


実は今日、このことで意見交換する機会がありました。
個人的に興味深かったのは、「待つ」という表現について。
最初は、「教員が教える」に対して「生徒が待つ」という話でした。
しかし、次に「生徒が学ぶ」に対して「教員が待つ」という話が出てきました。
なるほど、と思いました。
「待つ」ということの主体が変わり、それに伴い、その質も変わっているわけです。
これはこれで、一つの本質をついているのだろうと思います。


他には、「止まる」、「もっと学ぶ」など、様々な表現が飛び交い、ここにどんな表現をするかに、その人の個性が出るなぁ、なんて話しになっていました。


この後、この話題から、より本質的な話題が(僕の中で勝手に)展開し、それも大変に大事だなあと思ったので、帰りの車内で何とか言語化しておこうと思います。