文化祭の話⑧3年演劇から思うこと

今年は3年生の演劇を全クラス見ることができました。
当日に見たクラスはありませんし、見た時期もバラバラなので、当日のものとは異なる内容で鑑賞していますが、自分なりに感じたことをメモしておきます。
キャストの演技や、音響照明等を含む演出等、様々な要素がありますが、ここでは「劇を通して伝えたいメッセージ」に絞って書いています。


●3100「SpooKy HOUSE」
幽霊の出てこない「幽霊屋敷」を舞台にしたドタバタコメディ。
登場人物それぞれが様々な「勘違い」をし、最後の場面で全員が一堂に介し、それらが交わる瞬間、どんな伏線になったか頭が追い付かないくらいのカオス。
テンポよく、心底「くだらない」話に身を委ねて笑えました。
僕が作品から感じたメッセージは「どんなに悪いシチュエーションもそんなに深刻に悪くはないんだから、明るく楽しく生きていこう」ということ。
登場人物それぞれが劇中で「トラブル」を抱えながらも、最終的には「笑い」に昇華されていく様は、今を苦しむ人たちにも前向きな気持ちを与えたかもしれません


●3200「雨と夢のあとに」
父が死してなお幽霊となって娘と最後の夏を過ごす、親子の愛を描いた作品。
作品のキャッチフレーズは「幸せになる一番の方法は誰かを深く愛することーたとえ思いが通じなくても」。
特に、「死」に象徴される「永遠の別れ」をどうとらえて生きていくかということを中心に、「2つの死」を取り巻く人々を描いていました。
僕が作品から感じたメッセージは「自分が”いなくなった”後に何が残せるだろうか」ということ。
例えば、今日自分が”いなくなった”として、家族に、そして明日以降の「世界」に何かを残せているだろうかということを考えました。
「人を愛するということ」と同様に、「愛する人に何かを残す」ということについても、考えさせるものがあったことでしょう。


●3300「NBL大作戦」
田舎の高校を舞台に、謎の転校生の登場をきっかけ起こる事件を中心に、愛と友情を描いた作品。
大半はコメディタッチで笑いを誘いつつ、最後にはホロリとさせる内容。
僕が作品から感じたメッセージは「誰かのために一生懸命になることは素敵じゃないか」ということ。
何度か登場するテーマ曲が場面によって違う響きで届いてきました。
作品のキャッチフレーズが「青春はレモンの味がしたもんです」という通り、単純に「青春してるぜーっ!」という等身大の演技が貫かれており、とても好感が持てました。
直球勝負、全力青春で笑って泣ける舞台に仕上がっていたと思います。


●3400「忍ブ阿呆ニ死ヌ阿呆」
本能寺の変をめぐる忍びの者たちの生きざまを描いた作品。
シナリオがよくできており、「ミステリー」的な味わいも。
「暗殺では世のなかは変わらない」という理屈から導かれる「解」には、「なるほど」と感じました。
クラスが掲げたメッセージは、「忍ぶ阿呆に死ぬ阿呆、同じ阿呆なら生き延びよ」。
僕自身が作品から感じたメッセージは「大局観とは何か、人生で成し遂げたいことは何か」ということ。
「生き延びよ」というメッセージがありつつ、でも同時に「自分が大切にすることと、それを軸にどう生きるのか」ということを考えさせる劇でした。


●3500「星の大地に降る涙」
対立する集団の共存の可能性を問う作品。
タバラという民族と「倭人」との対立に加えて、終盤、「倭人」の中でも対立する2つの勢力の争いも。
悲劇的な結末に、それでも「何色にも染まっていないお腹の中の赤ちゃん」に未来の希望を重ねていました。
僕が作品から感じたメッセージは「歴史という観点だけでなく、今、目の前にいる人とどんな未来をつくっていくかという観点が大切だ」ということ。
すでに起こった悲劇のみにとらわれるのではなく、「それでも人間には可能性がある」という前向きなメッセージを伝えていたと思います。


●3600「ナイゲン」
ハイスピード会議エンタテイメント。
9クラスの中から、1クラスだけ文化祭で自分たちの出し物ができなくなり、そのクラスを決めるという設定。
しかも、3年生は全クラス演劇という設定で、国高生であれば、いやがおうにも「自分たちの文化祭って結局何なんだ?」という問いと向き合うことに。
僕が作品から感じたメッセージは「”らしさ”とは何か、制約の中で人はいかに自由になるか」ということ。
会議の大半は、様々なロジックでお互いの足を引っ張り合う場面ですが、最終的には「文化祭の在り方」に議論が集約されます。
そのとき、それぞれが”らしさ”について考え、そして、「自分たちの自由を守る」ということではなく、「制約の中からも自分たちが自由であれる道」を見つけます。
「伝統」とは「変わらないこと」ではないし、「自由」とは「自分たちですべてを思い通りにできること」でもない。
むしろ、「思い通りにできないこと」「変わらざるを得ないこと」とどう向き合うか、社会人に対しても結末への賛否も含めて投げかけるものがあったと思います。


●3700「贋作 罪と罰」
ドフトエフスキーの原作を、野田秀樹さんが脚本にしたもの。
「一つの微細な罪悪は百の善行に償われる」「選ばれた非凡人は、新たな世の中の成長のためなら、社会道徳を踏み外す権利を持つ」という「理論」に基づく殺人を巡る物語。
「誰は生きろ、誰は死ねなんて、誰が決められる」というメッセージがポスターに使われていました。
僕が作品から感じたメッセージは「どんな命にも素晴らしい可能性と価値がある」ということ。
先日の障がい者の方を狙った痛ましい事件もありましたが、人の命には、それ自体に何にも代えがたい価値があります。
それは、「理屈で理解する」ものではなく、「感じる」ものです。
主人公の信念を揺るがす様々な葛藤は、そのまま自分自身を揺るがす葛藤となり、それぞれのゲストに「問い」を持ち帰らせるものだったと思います。


●3800「四畳半神話大系」
バラ色のキャンパスライフを夢見る「私」が、うまくいかないキャンパスライフを何度もやり直すという奇妙な物語。
「今を生きる、全の“私”達へ」という宣伝文句が掲げられていました。
僕が作品から感じたメッセージは「どんな”私”であってもそれを受け入れ、”今、ここ”を大切に生きていくしかない」ということ。
人生は、「思った通りになること」と「全くの想定外のこと」とで言えば、後者の方が圧倒的に多いものです。
しかし、人生を辛いものにするのも、楽しいものにするのも、その要素としては、後者の方がまた圧倒的に多いものです。
想定外の状況や、その中の自分をメタ認知することで「今、ここ」をひたむきに生きるしかないと思う「私」から、見る者にも現実をメタ認知する機会を与えたのではないでしょうか。


●3900「あかんべえ」
ある料理屋の娘と5人の亡者を中心に描かれる物語。
5人の亡者は、それぞれに「成仏できない理由」をかかえているが、物語の最後にそれぞれに救われ成仏していく。
僕が作品から感じたメッセージは「どんな人でも、人は人によって救われるのだ」ということ。
どこかで何かの過ちを犯してしまったり、意図しない事件で心に深い傷を負ってしまったりしたときに、人はどのように救われるのか。
それは、お金やシステムではなく、「人との交流」、そしてその裏にある「人を思う強い気持ち」なのだと思います。
罪を犯したもの、悲劇に巻き込まれたもの、5人の亡者はそれぞれに背負うものがあります。
しかし、それぞれに「人を思う強い気持ち」に触れたり、あるいは自分自身が「人を思う強い気持ち」を持つ(あるいは思い出す)ことで、救われていきます。
自分は何に救われているか、誰かの救いになれているか。自分はどんな思いをもらっているか、自分はどんな思いを持てているか。
人が人を救うということについて、また「強い思い」が人を救うということについて投げかけてくるものがありました。