第12回教室『学び合い』フォーラム2016in宮城
2016年8月21日
@東松島市コミュニティセンター
【講演:「みんなの学校」が教えてくれたこと】
前大阪市立大空小学校校長 木村 泰子 氏
自分は今とっても楽しい。
それは、今自分が学べているから。
過去の9年間を知っている人間であっても、今目の前の子どもの状態はわからない。
だから、顔も出さないし、口も出さない。
「この教員だからできる」のではなく、「新しいメンバーが目の前の子どもを見て日々取り組む」ことが大切。
椅子に座っていられない子どもを、無理に椅子に座らせようとすることは、「その教室の空気をもう吸えない」というくらいの気持ちを持つ。
「座れないあなたは、他人に迷惑をかけるのだから、あなたはペケなのだ」ということを伝えてしまっている。
3・11以降、「想定内の教育」をやめた。
想定外の事態に対応できる力をつけさせたい。
そのために皆で考えるようになった。
図書館に、地域の人が来て本を読む。
教室を飛び出した子どもは、図書館に行くと、そこにいる地域の方とお話できる。
「じいちゃんも学べる、子どもも学べる」
大空小学校の「理屈」ではなく、「空気」を感じて、それを吸うこと。
これまで続いている「当たり前」の悪しき文化を書き出すような活動。
白々しい授業参観、白々しい実践報告etc...
皆が書いたことを一字一句変えずに一覧にした。
その日から学習参観日をなくした。
普段やらないような授業をやっても仕方ない。
質問するのは勝手。
でも、無理やり答えさせない。
○の人、×の人、パスの人
パスも許可する。
さらに、第四の選択肢として「手を挙げなかった人」と聞く。
パスまで許可したのに、これを聞く意味はどこにあるか。
「手を挙げなかった大人」を「手を挙げた子ども」はどう思うか。
「手を挙げないことはペケ」という空気をつくるのではなく、「大人でも手を挙げないこともあるんだ」という空気から、大人も子どももフラットに話せる関係性につなげていく。
教室をどうしたいのか、の分かれ目。
「一人も見捨てない」が根底にあるビジョン。
個人的な意見。
受け取るも受け取らないも自由。
大空小学校では「ひとりぼっちにしない」と言っている。
「ひとりぼっちにならない」空気を吸っていれば、「ひとりぼっちにはならない」はずだ。
特別支援に必要な子どもがいないところで「一人も見捨てない」が実現しても、「一部の子どもだけ」の世界ではないか。
「空気を乱す」人が入ってきたら、「この人さえいなければ・・・」と思ってしまいがち。
でも、今なら違う。
「この人が気持ちよくいられるようになれば、もっとこの学校はいい学校になるはずだ」と考える。
悪い機会ではなく、良い機会をとらえる。
一人の子どもは30人の教職員が味方。
教員だけではなく、事務職員も含めて、子どもは「選べる」。
一人の子どもが「自分たちの学校は良い学校」と言えることが大事。
教員側が「自分たちはこんなことをやって良い学校をつくった」と言ってみたり、色々なところで表彰されたりしても、何の意味もない。
大空小学校のたった一つ約束「自分がされたり言われたりして嫌なことは、人にしたり言ったりしない」
教員であっても、それが守れないときには、「やり直す」。
相談をし、そこで「どうするべきだったか」を考える機会が与えられる。
わかったふりをしない。
「自分のできないことは人にやってもらいます」という一言。
これが一番嬉しい。
大空小学校の教員に一番必要なこと。
この言葉が出てくるのが嬉しい。
いじめゼロの学校なんて、お化け屋敷みたいなものだ。
トラブルなんて山のように起こる。
子ども同士の関係性を分断することは本質的ではない。
「教える専門家」から「学びの専門家」へ。