第12回教室『学び合い』フォーラム2016in宮城トークセッション

第12回教室『学び合い』フォーラム2016in宮城
2016年8月21日
@東松島市コミュニティセンター


【トークセッション:「みんなのきょうしつ」でつたえたかったこと】
東京学芸大学教職大学院 准教授 岩瀬 直樹 氏
株式会社アソビジ 代表取締役 プロジェクト結(ゆい) 理事 中川 綾 氏


木村先生のお話から
「地域とつながる」ということは「しくみ」じゃない。
お互いにとっての「良いこと」を伝えられるか。


現場から離れると、特に「きれいな言葉で語りたくなる」。
でも、それだけだと「成長が止まる」。


大空小学校の教員が他の学校に移っても、上手くいかないだろうし、苦しむだろう。
でも、明確に違うのは「あきらめていない」ことと、「自分に何ができるかを考え続けている」こと。


教室で起きることは職員室で起きる、職員室で起きることは教室でも起きる。


動画紹介。
休み時間に額にケガをした子。
4歳から6歳の教室でのサークル対話。
皆に「こんなケガをしたよ」と他の子に見せて回っている。
家族に見せているような雰囲気。
こんなクラスを作りたい!


「もっと手立てを立てないと・・・」とよかれと思ってやっていたことは、「全力で邪魔をしていた」んだと思った。
任せると、「これもできるんだ」ということが増えていった。


自分の「思い込み」とらわれていないつもりでもとらわれてしまっている。
学校は、授業はこうあるべき、というとらわれ。
「言っていること」と「やっていること」との齟齬につながっている。
子どもに任せて何も話をしなくても、子どもから「先生はどうして欲しいの?」と言われてしまった。
本当に、子どもには伝わってしまう。


「信頼」って何だろう?
言ってることとやっていること、やろうとしていることとが一致している人が信頼されるのだろうなぁと思う。
まず、自分が信頼される人になろうとすることが大事。


ハロウィンパーティー。
子どもたちが企画して準備。
前日にも全く準備できていない。
「今日は無理だろう」と思っていた。
当日朝のサークル活動で「無理だから延期しよう」という発言が出た。
正直、しめしめと思った。
でも、「できるよ、やろう」という意見が通ってやることになった。
延期しようとしていた子どもは3人は泣いていた。
それを見て、それは違うと思っていた。
でも、実際に始まったら、子どもはすごい。
色々なことを考え、見事なパーティーをした。
子どもってすごい。
そして、自分は子どもを信頼してなかった、自分の思うように動かしたかったんだということを実感する。
ベクトルを自分に向けるのはしんどいけれど、必要なこと。


「皆が好き勝手やっている」ことが認められるのは、お互いが信頼し合っているから。
それは、お互いの持っている汚いものも出して、その上で成立するものだろう。
その信頼関係の最小単位が1対1の関係性での対話。
それを、そこで閉じずに広げていく。


「人は違う」という前提に立った上で「皆同じ」と言えることが必要だろう。


『学び合い』だけが解ではなく、色々なものがある中での選択肢の一つ。
『学び合い』だけになってしまうのは違う気がする。


「借り物の言葉」ではなく、「自分で本当に思ったこと」を言葉にして伝えることが大事。


「自分が行動したことで、自分や自分の周囲が変わった」という確かな実感を得ることができるかどうか。
その経験が大事。


「人って本当に変わる」ということを実感している。
昔は本当によく怒る教員だった。
周囲の教員も信頼してなかった。
「俺はこんなに勉強しているのに・・・」というような思い。
でも、そうではない。
色々な経験から、それを知って変わった。


5年後までにしたいこと。
「学校をつくりたい」。
迷っている人、 悩んでいる人と一緒に、学校の外から考えられる人になりたい。


振り返りのためのツール
http://www.asobusiness.com/business/echo.html


子どもは「関係性」で変わる。
色々な関係性を経験できること。

 

【鼎談】
「自分が学べたなぁ」と思う時は、「自分がちょっと変われるなぁ」と思えたときだし、それはとっても楽しい。


良い教室の空気を職員室にもつくらなければならない。


「いい」と思えばやるしかない。
子どもたちには時間がない。
今日の子どもと明日の子どもは違う。


校長の仕事とは何か?
9年終わってみて、校長は名誉職でも管理職でもない。
一番自由に学校を歩き回れる人。
内側に対しての「コーディネーター」が校長。
その目的は、「すべての子どもが学校という場で安心して学び合える」こと。


「自分から、自分らしく、自分の言葉で語れる」
これが一人一人の生徒ができていれば、今やっていることがうまくいっていると言えるのかもしれない。


一人の子どもが学校に来れないのは、担任のせいでも保護者のせいでもない。
それは校長の責任だ。


「変人が変人であり続けられること」


やれる人ばかりではない、やれない人もいる。
子どもたちの学び合いを実現したかったら、職員室の学び合いをいかに実現できるかが大事。


校長のリーダーシップは、学校から外に出すべきもの。
公立だからこそ好きなことができる。
校長、教頭、教員に格差があったら、学び合いなんて実現できない。
ただの役割分担。