他動詞から自動詞へ

分科会「開かれた『学び合い』はこれで成功する!」のメモと考えたことです。
★が個人的に考えたことです。


●広げていくには
学び合い』を広げる、というよりは、校内研修を『学び合い』風にしていけばいいのではないか?
「変える」ではなく「変わっていく」、「広げる」ではなく「広がっていく」


★このことは、最近の自分の大きなテーマで今回持ってきた中心的な「問い」。
ここにあるような感覚は、とても大切だろうと思う。
「他動詞」ではなく「自動詞」で。
これは、おさえておくべき大切な基本だと思いました。
(大切なことだと思ったので、このポストのタイトルにしました)。


●『学び合い』という言葉をあまり使わない。
『学び合い』という言葉を連呼して人間関係がうまくいかなくなることもあるので注意。
言葉を広げることが大事なことではない。
管理職からも、言葉自体で攻撃されることもある。


★「言葉」ではなくて、「目指す方向性」。
「やり方」ではなくて、「在り方」。
今回は、このことが強く意識されているから、『』関係以外の方のからの話が多いし、しかもそこに矛盾がないのだろう。


●管理職との関係性
管理職との衝突。
授業の様子を語って良さを伝えようとしてが、「なんでわかってくれないの?」となる。管理職は、「なぜ言うことを聞かないのか」となる。すれ違い。
わからないものはわからないんだから、方法を変える。
自分がやるのではなく、外部から人を呼んでみたりするのもよいかもしれない。


最初から否定される場合には「あきらめる」ことも必要。
ただし、「アクティブ・ラーニング」の流れで、全否定する人はほとんどいなくなったのではないか。


●研究協議でよくある意見
「遊んでいる子がいる」「孤立している子がいる」
反論もあるだろうが、実際にうまくいっていないことも多い。
これは、「永遠の課題」として付き合っていくべきものと思うべし。


★「永遠の課題」と思うか、「今すぐ解決すべき目の前の課題」と思うかで、かなり心持ちが異なる。
「ベスト」ではなく、できることをやり続けて「ベター」を求めること。
それしかないのだろう。


●「深い学び」の実現
「自分たちが今学んでいるものがどういうものか」を認識できることが深い学びなのではないか。
「説明する」ということを目標として設定していることが適切か。必要があれば次の段階の課題を設定すればいいのではないか。
教員自身が「深い学び」とは何かを理解し、それを子どもに提示し要求できることも必要かもしれない。
「深い学び」は、知識的な深さだけではなく、関わりの深さが大切なのではないか。
「深い学び」とは何を意味しているかが共有されていないと議論が成立しないだろう。そこは皆で確認すべきだ。
田村学先生は、「知識やスキルを関わりの中で深めていく」と書いている。
これは『学び合い』で実現できるだろう。


★「深い学び」の定義や中身はしばらく混乱するだろうし、一つにまとめていく必要もないかもしれない。
これも、「言葉」よりも「目指す方向性」。
「説明できるようになる」ことだけが目の前の生徒につけさせたい資質・能力のすべてではないはず。
そこから組み立てていき、結果として授業に「(それぞれの教員の考える)深い学び」が実現していくのではないか。