かっこいい姿よりも一生懸命な姿

昨日の、第12回教室『学び合い』フォーラム2016in宮城から内容のメモの一部と考えたことをまとめてみようと思います。

まずは、地域と学校をテーマにしたシンポジウム「10年後の”おらほの学校”ってどんなイメージ?」に関してです。

★が個人的に考えたことです。

 

●地域に出ていく意義

崩壊していた小学校、中学校が、地域と連携することで「自慢の学校」に。

「恩返し」のつもりが、自分たちがしたことで誰かに喜んでもらえることで、自分たちが一番嬉しい。

自己有用感→自己肯定感

 

日本の高校生は自己肯定感が低い。

中高生の前向きな社会参画意識が低い。

 

次期学習指導要領では「社会に開かれた教育課程」

目標を社会と共有して取り組む。

 

★「地域のために」という、「与えるー与えられる」という関係性ではなく、「お互いに与え、与えられる」というイメージを持てることが重要。

「情けは人のためならず」とも通じるところかもしれない。

 

日本理化学工業のHPにある言葉。

"人間の究極の幸せは、愛されること、褒められること、役に立つこと、人に必要とされるこ との 4 つ。愛されること以外は、働いてこそ得られる。"

 

この要素を地域に出ていくことで感じることで、「良い社会を創っていく」ことに対して内発的に動機付けられるのだろう。

 

●「かっこいい姿」ではなく、「一生懸命な大人の姿」を子どもに見せてあげてほしい

 

★生徒に「かっこつけない」ことを求めるのであれば、まず自分自身が「かっこつけない」ような人でありたい。

実際には、細かいところで「かっこつけたい」自分がいるけれど、それよりも伝えたい価値があるはずだし、その軸で常に自分を振り返る必要がある。

 

●地域作りは「子どもつくり」

子どもを地域が育むことによって地域がよくなっていくのだろう。

社会に家族も学校も帰属していくという意識。

 

●コレクティブ・インパクト

人口減少率が高い地域。

行政、民間、非営利の連携が必要になってくる。

何ができるか。

それぞれの強みを生かしていく。

http://www.globalcsr-pfc.com/collective-impact/

やれない人をやれる人が助けるのが一番いい。

 

★「私にとっての普通」は「誰かにとっての特別」であることがけっこうある。

そのことを自覚するのは、実はとても難しいことだけれど、常にそれを意識してメタ的に考えることで、自分が何で貢献できそうかもわかる。

個人がオールマイティであることよりも、集団として補い合っていけることが必要。

上記に気づくことと、妙なプライドを捨ててしまうことがその第一歩。

 

●教区委員会主導で「広げていく」には

あきらめずに1つ1つ丁寧にやっていく。

教育委員会が主導して一気にやれば、「形は整うが、魂が入っていないものだらけ」になっただろう。

だから、「時間をかけて」「丁寧に」

何度も何度も校長先生を訪問。色々な意見を聞く。

あとは、財政。

「情熱はわかるが、情熱では金は動かない」と言われた。

だから、成果を上げていくしかない。

 

「形を整える」ことよりも、「魂を入れる」ことを考える。

今は、いかにALの形を整えるかの議論が多いが、それよりも、そこにどんな魂を込めるかがはるかに重要。

そのために、「時間をかける」ということと「丁寧に」ということは、どちらもとても大切。

 

●地域に出ていく必要性

教員は、校門を出て、地域の人と話してみるしかない。

忙しいとは思うけれど、実際に地域の人とつながっていくことが大事。

 

●「窓口」の意味

小中学校にアプローチしにくいのは、「窓口」がわからないということもある。

例えば、女川には「公民連携室」という窓口があって、入りやすい。

具体的に誰とどういう話をしていくのか絵を描きにくい。

「窓口」があるとだいぶ違うだう。

 

●中学生からの意見

学校に「今の自分ができること」は、大人もそうだけど、一人でできることは限られているから、今日のこの場のように、大人任せにするのではなく、皆で話し合うようなことをしていくとよいのではないか。

「先生に話をしてもいいくるめられてしまう」という意識。

→先生を信頼できていない。

「安心・安全」が保障されていてほしい。

言ったことはきちんとやってほしい。

きちんと話ができる場があってほしい。