ディベートと議論の違い(くにたち会)

一昨日、国立高校で情報交換会を開催しました。

15名の方に来ていただき、18時まで、さらに懇親会を22時30分まで、尽きることなく様々な話が展開されました。

特にテーマを決めずに、来た人たちのニーズを合わせて運営を変えていくというスタイルの会が定期的にあるのは、やはり意味があるのだろうと思いました。

 

メモの一部を共有させていただきます。

 

●中等教育の目的について

「子どもを大人にしていく支援」

このことは共有されているか?

言語化されているか?

「大人にする」とは何か?

 

●アクティブ・ラーニングという用語について

AO入試のように、言葉の本来の意味から遠ざかっていくようなことになりかねない。

「学習者主体」にならないのではないか。

イギリス、シラバスで「何ができるようになるか」が明示されている。学習者主体の発想。

IBも同様に学習者中心の概念図。

 

※具体的には文科省のアクティブ・ラーニングの何が問題か?

 

●ディベートと議論の違い

後藤さんの海士町での授業。

高1生「あなたは自分を大人だと思うか?」

高2生「18歳は大人だと思うか?」

 

大人か、大人ではないか、という2項対立

→これはディベートになる

自分の意見を変えたら負け。

大人とはどういうものか、という問題設定

→これは対話になる

自分の意見を柔軟に変えていく必要がある。

 

●コンピテンシーについて

客観的に自分たちの能力をどう示すか、を考えられないといけない。

日本国内なら学歴でもいいのかもしれないが、海外ではそうならない。 

一生学び続ける必要がある。

 

※客観的に自分の能力を示す、とはどういうことか?

※中等教育段階で最も必要なコンピテンシーとは?

 

これらは、なぜ学ぶのか?という問題に通じる

 

●これからの広がりについて

『学び合い』の支援の入った新潟県の小学校。

職員室にいる教員が増えた。そして、児童のことを話す機会が増えた。

 

●プログラミング教育の可能性

プログラミング教育は、「正解」が一つではない。

それぞれがそれぞれに課題に取り組み成果物を生む。

「人との比較」ではなく、「自分の成長」を感じることができる。

正解が一つではない活動は、思考力を伸ばすなどの効果以外に自己肯定感も高める。

 

正解が1つ

→自己肯定感、自己効力感を失う子が増える。

 

正解が1つでない

→自分で自分なりにできることがある。自己肯定感、自己効力感が上がる。

 

●挑戦する人について

挑戦する人は、リスクテイカー。

 

高校で、色々な人が来て話をしてくれる環境があると、「口を開けて待ってる」生徒を育ててしまうことになる可能性もある。

 

※リスクを取れる人を育てるにはどのような「場」が有効か?