ポケモンGOから考える

ポケモンGO、僕は手を出していません。

が、多分始めたらハマると思います。

「探したい!」「集めたい!」という欲求が強くあることを自覚します。

中高生あたりでは、僕の世代でいう「皆でドラクエやって日々の情報交換が会話の中心」という状況にも似た状況での「置いていかれたくない」感のようなものもあるかもしれません。

 

やり始めたらハマるだろうし、人生が楽しくもなると思います。

でも、「時間」は誰にでも平等に与えられた「有限な資源」であり、それを何にどのくらい使うかについては、「投資」の感覚を持つことが大切だと思います。

時間の投資については、以前にブログで書きました。

 

僕自身は、今自分が持つ24時間を何に投資するか考えたときに、ポケモンGOではないなと思いました。

やりたいことがありすぎて時間が足りないのです。

今の僕には、僕の人生を豊かにしてくれるであろう、山ほどのモノやコトがあります。

それは、生涯にわたって楽しめそうなものばかりです。

 

それから、「いくら楽しくても知らない方がいい世界」というものもあるように思います。

例えば、僕にとってタバコがそうです。

タバコは吸うと僕に幸せな気分をもたらしてくれるのだと思います。

でも、同時に相応の健康リスクを負うことになります。

だから、僕はタバコを吸わない決断をして、人生で一本のタバコも吸うことなく今日に至っています。

タバコがなかった時代の人は、タバコという装置がなくても幸せに生きられたはずです。

僕は、「あるけれど、なかったことにした方がいい」ものだろうと思っています。

 

上記のポケモンGO、あるいはタバコに対する意見は、ごく私的なものであり、それを好む人を否定するものではありません。

ある人がポケモンGOやタバコの存在によって人生を充実させたり、あるいは救いを得たりすることは、素晴らしいことだと思います。

 

ただ、「時間の投資」という感覚と、「あるけれど、なかったことにした方がいい」ものかどうかという判断は、何かを始めるときには考えてみていいことだろうと思います。

それを考えてみて、その上でそれを始めるのであれば、「幸せな人生」につながる、意義あることでしょう。

僕は、ポケモンGOが「人を幸せにする」ものであって欲しいし、やっている人には、それ自体に振り回されずに、人生を豊かにする「ツール」として主体的に使いこなして欲しいと思っています。