本当に大切にしたいものは何か

AL型授業の実践者として、色々なところで取り上げていただいたり、仕事の依頼を受けたりすることも出てきました。
しかし、この一か月ほどで、AL関係で立て続けに「トラブル」が発生しました。
そして、自分の立ち位置を考え、モヤモヤしました。
簡単に言えば、「客寄せパンダ」だったり、「組織のコマ」だったりに近い扱いを受けそうになった、ということです。
それをそのまま受け入れれば、ある種の「名誉」や「地位」を得ることにつながるかもしれません。
でも、そんなことにどうしても意味が見出せません。
僕には「やりたいこと」が明確にありますし、人はそれを「野心」と呼ぶかもしれません。
でも、手段を選ばずにそれを達成したいとは思いません。
こんなことに頭を悩ましている時に、某所で「いけすかない」話をしてしまったのではいかという可能性を感じました。
僕自身はそのつもりで話していませんが、周囲の反応から察するに、そのような受け取られ方をされている可能性が高いと案じています。


やりたいことはあるけれど、偉くなりたいわけではないし、尊敬されたいわけでもない。
やりたいことはあるけれど、自分の「やり方」を広く普及したいわけでもないし、人から「すごい」と言われたいわけでもない。
でも、もしかすると、そんなことを考え、驕っている人間に思われているかもしれない。
実際、そんなに大した人間ではない。
自分の「本来の価値」は、自分が一番よくわかっている(つもり)。
それは決して「卑屈」ということではなく、自分は自分なりに思考し実践していることに矜持はあるし、自分なりの「道」を進んでいきたい、ということ。


自分のやっていることで、誰かの何かのヒントになるなら嬉しい。
自分のもっているものを提供して、誰かの何かの役に立てたなら嬉しい。
誰かと対話して、その方が前向きに笑顔で帰ってもらえると嬉しい。
僕のした何かが誰かのためになり、その誰かが別な誰かの笑顔をつくれたならば、とてもとても嬉しい。
その先に、僕の「やりたいこと」は確実につながっている。


この方向でしっかりと歩んでいくには、具体的にどのように行動していけばよいのだろう。
自分には何ができるだろう。
「走り続けている」のは、単に「止まるのが不安」だからなのだろうか。
いま走っている道は、自分が目指す方向にしっかりと向かっているのだろうか。
今の「ほんの少しの角度のズレ」が、数年先に、「修復不可能なズレ、溝」になっていかないだろうか。


ものすごいスピードで自分の周囲の状況が動き続けています。
だから、常に心に問いかけます。
「本当に大切にしたいものは何か」
それを軸に、「自分の目で見て、自分の頭で考える」しかありません。


得体のしれないモヤモヤや、漠然とした不安を感じて、勢いだけで書いた文章です。
半年後にこれを読んでも動揺しないような「半年後の自分」でありたいと思っています。