"本質"を見極めようとすること

「交流会」に参加してきました。
いくつかとても楽しいことがあったので、書きたいと思います(相変わらず電車移動中ですが・・・)。


第一部が終了したところで、一人の学生さんが声をかけてくれました。
この学生さん、昨年の夏にお話をしていました。
僕は、国立高校に異動したばかりで、色々なことを考えていました。
6月の交流会では、熱く「アクティブラーニングを広げたいと思っています」と語ったらしいのです。
その後、秋の交流会でもその同じ学生さんとお話をし、今度は「最近、同じことばかりを言っていたり、まとめていたりして、自分として同じことばかりしていたら飽きてしまうし、ワクワクしない。もっとワクワクすることを自分で設定しないと楽しくない。それが今考えていること」と語ったらしいのです。


これらの語りを聞いて、その学生さんは、こう思ったそうです。
春の語りの後。
「あの人、アクティブラーニングを広げたいと言っていたけれど、何のために広げたいんだろう?広げること自体が目的になっちゃってないか??」
秋の語りの後。
「なるほど、ただ広げるだけじゃ面白くないってことか。じゃあ、この人はこの後何を考えてどう進むんだ??」


ぼくのフィルターを通して解釈すると、「手段の目的化」の段階から、「このままだといかん」と一皮むけたように思えたのだろうと思います。


そして、「その後どうなったのか?」が多少気になり声をかけてもらった、ということのようです。
僕は、こう答えました。


アクティブラーニングを広げることも、自分自身がワクワクすることも、どっちも楽しんでできています。
広げることは、その後、いくつか原稿を書く機会を与えてもらったり、新聞に取り上げてもらって色々な方に授業をみていただけたり、講演の依頼をいただいたり、色々な展開が生まれてきています。
そういう機会から、色々な人と交流し、広げていくのは、僕がやりたいことでもあり、できることのひとつでもあるので、それをやっています。
それから、新しいこととしては、「探究」というものを軸に授業で色々なアイデアを実践したり、様々な先生と交流したり、今後の「探究」がどうなっていくと良いか、楽しみながらまとめています。
アクティブラーニングはあくまでも考え方や方法であって、手段です。
それを使って何をするか、何を目指すかが大事で、「探究」というのは、それを生かすのに最高です。
何らかの成果物をこの一年でまとめたいと思ってます。
そういう成果物が、まだ世の中にはほとんど出ていません。
めちゃくちゃクリエイティブで面白いと思いませんか?
また、アクティブラーニングを広げるのも、「探究」を深めるのも、僕の中ではつながっていて、「誰もが生きやすい社会をつくりたい」という目的に向かっています。


すると、ここまでの話しを聞いて、「なるほど、すこし見えました」と言って、先ほど書いた、昨年の春と秋の僕に対する印象を語ってくれました。
最初の「この人は何のためにアクティブラーニングを広めたいのか??」という問いに痺れました。
それは、ある意味では生意気なことかもしれません。
でも、目の前にいる"大人"に対して、「この人の本質はどこにある?」と常に考えているからこそ出てくる疑問だと思うのです。
そして、これは僕の考えるクリティカルシンキングであり、こういうことを常に考え意識し、問える人を育てたいと思っています。
彼は、授業で「イノベーションをどう起こすか?」というテーマの講義があったときも、「イノベーションは手段じゃないか。何のためにイノベーションをしたいの??」と思っていたそうです。
こういうツッコミ、最高です。


彼は、その後「今の話を聞いて、何をしたかったのか、ということが少し見えました」と言っていました。
また、今彼が取り組んでいることや、そこでの課題についてすこしお話しました。
一連のやりとりの最後に、こんなことを伝えました。


「あなたの本質は何か?と大人に対して問い続け、その人の本質を見極めようとするのは大切。でも、それはブーメランのようにやがて自分に跳ね返ってくる。その時、あなた自信が自分の言葉で本質を語れないといけない。それができずに、30になっても40になっても本質が見えない人を批判するのは避けなければならない。ただ、今は結論を急ぐことはないし、自分の本質が確立しなくても、色々な大人に対して本質を問うことを続けながら考え続ければいい」