「問う力」はなぜ重要か

2016年5月24日
首都大学「ティーチング技術講座」メモ
★は個人的見解


●カイコの観察から疑問を持たせる。視点は教員が与える。こういう活動を何回もやっていれば、視点を与えたり、設定をしなくても、生徒は自然に疑問を持ち始めるのだろう。


★「問う力」を持つ人は、「問う力」を持たない人にも比べてどのような点で良いのか?社会に出てから必要になる能力とどうつながっているのか?


●クリエイティビティには、「問う力」が必要不可欠。それがスタート。
●アメリカのある大学では、「うちの卒業生は、いい質問を出せます」とアピールしていた。
●「医者に対して、どのような質問ができるか」ということは、一般市民にとっても重要な能力である。
●研究者にならない人にも、研究者に必要な「問う力」が必要。


★「問う力」のある人は、「本質」をつくことのできる人。
★「いい疑問」とは、「枝葉ではなく本質を志向しているような疑問」、という考え方もできるだろう。


●「問う力」を身につけるためには?体験と人とのインタラクション、そしてそれを邪魔されないこと。


【質問中心に作る授業実践】
O先生の授業実践。
生徒に範囲を指定して予習をさせ、それを基に質問をウェブを使って集める。
それを、教員が「重要度」の高いものを集めて整理する。
その際、「教科書を読めばわかること」と「教科書を読んでもわからないこと」を区別して提示する。
上記の「コアプリント」は、全クラス共通で配布。
それ以外に、クラス別に、出てきた質問を雑多にまとめた「クラス別プリント」も配布する。
やっていくうちに、出てくる質問の質は上がってくる。
教科書を読んでも理解しようとすると、教科書の記述に「ひっかかり」を感じるようになる。


★「問う」ということは、「クリティカルに物事を考える」ということにつながる。
「問う」ことのトレーニングは、「クリティカルに物事を考える」トレーニングと捉えられる。
その力があれば、読書も「対話的」になる。
「ここはその通り」「なるほど、そういう考え方もあるか」「ここは違うのでは?」と、筆者と心の中で対話しながら読むようになる。
でも、それができない場合には、「問う」という設定を与えることがトレーニングになる。
人の話を聞く時も同じ。
「質問を必ずすること」という設定が与えられると、それだけで質が高まる。
そしてトレーニングになる。
人との対話も同じ。
「問う」という設定をすることが大事なのだろう。
そして「問う力」を持てるということは、クリティカルに考えるための基本なのだろう。