感謝されない卒業式のイメージ

先日、勤務校の卒業式がありました。
卒業式当日やその前後で挨拶に来た卒業生もいましたが、その数は少なく、「いつもの時間」を過ごし、淡々と仕事をこなしていました。
教員になりたての頃は、「承認欲求」は今よりももっともっと強く、あらゆる場面で認められたかったし、関わった生徒にも「いい影響」を与え、その上で「感謝されたい」という気持ちも大きかったと思います。
その頃の僕なら、物足りなさの残る状況なのだろうと思います。
でも、今はそういうことも思わなくなりました。


僕は、生徒に「成長してほしい」と思っています。
「成長」とは何かといえば、例えば「自分の目で見て自分の頭で考える」ことのできる態度や能力を身につけることだったり、「幸せの感受性」を高めることだったりをイメージしています。
何のために成長してほしいかといえば、「幸せな人生を送って欲しいから」です。
そのために、僕は自分の信じることを実践しています。


生徒の成長」と「教員に対する感謝」を単純に考えると、以下の4つの区分があります。


①生徒が成長し、教員は感謝される
②生徒が成長し、教員は感謝されない
③生徒は成長せず、教員は感謝される
④生徒は成長せず、教員は感謝されない


以前は、①を目指していました。
でも、「感謝される」という「ご褒美」ばかりに気持ちが向いて、「生徒の成長」をしっかりと見ることができていたかは疑問です。
そもそも、僕が4年前に『学び合い』を始めようと思ったのは、卒業生との対話で自分の無力さに打ちのめされたからです。
僕は①を目指しながら、③や④になっていたのではないかと思います。


今、僕は②を強く意識しています。
「僕の力で生徒を成長させよう」とは思いません。
そもそも、「成長の種」を生徒は持っています。
僕は、「場の設定」と必要最低限の語りで、その種が芽吹くといいなぁと思っています。
その時、生徒は「自分の力で芽を出し、大きく成長して花を咲かせた」と思います。
教員の存在はそこにありません。
だから、感謝などされません。
でも、しっかりと「成長」しています。
全く感謝されずに、でも「幸せになる力」をしっかりと獲得して卒業していく。
それが、今の僕がイメージしているものです。