パンを選ぶときに感じたこと

朝のコンビニでの一コマ。
パンを選ぼうとするも、種類が多すぎて簡単に選べない。
あれも食べたいような気もするし、これも食べたいような気もするし。
でも、どれかを選ばなければならない。
そこで、えいやっと選んだとしても、他にあり得た選択肢が頭をよぎり、「本当にこれでよかったのだろうか」となぜか不安な気持ちを覚える。
いざ食べ始めても、パンの美味しさに浸りきれない自分がいる。


こんなことから、S先生が常日頃から問題提起していらっしゃる「選択肢は多いほどよいのか」という問いが浮かびました。
例えば、以下のような場合はどうでしょうか。


始めていった土地で入ったコンビニ。
パンを買おうと思ったら、数種類しか置いていないし、数も残り少ない。
たまたま自分が好きなパンがあったので、それをすんなりと選んで食べる。
「自分好みのパンがあってよかったー」と、ほっとしたような気持ちになる。


この場合、選択肢は前者の例に比べるととても少ないわけです。
でも、選択肢が少ないがゆえに、小さな幸せを感じやすくなっているように思えます。


選択肢が多いと、「他の可能性」をつい考えてしまい、それが不安や迷い、あるいは後悔につながることがあります。
選択肢が複数あるときに、ついつい「どれが正解だろうか」と考えてしまいます。
しかし、その問いそのものに正解はありません。
そもそも「正解」というものにとらわれる必要もありませんが、あえてそれを考えるならば、大切なのは、「正解を選ぼうとする」ことではなく、「選んだ選択肢を正解にしようとする」ことだと思います。


日々の暮らしの中には、無数の「選択」の場面があります。
人生の大きな「選択」をすることもあります。
その基本的なスタンスとして、「今自分を一番満足させてくれる正解のパンを間違いなく慎重に選ぶ」ことよりも、「自分が限られた時間と情報の中で判断したパンを、買った後は美味しく楽しむことだけを考える」ことなのだろうなぁと、そんなことをパンを食べながら考えた朝です。