「ルールを作る」ことができるか

昨日は、『学び合い』新宿の会に参加しました。
以下、いくつかのメモと雑感です。

 

●アクティブラーニングで目指す倫理的能力とは何を指しているのか?
「自分たちでルールを作れるか」ということが一つ挙げられる。
自分の利益だけでなく、全体のことも考える必要がある。
自分たちで作ったルールは守る。
★「アクティブ・ラーニング」を通じて、倫理的・社会的能力の育成を目指すのかどうか、という部分が大きな分かれ目であるように感じる。
「授業で育む倫理的能力」と言われてもピンとこない場合が圧倒的に多い。
そこで一つの端的な例として上記は良いかもしれないと感じる。
これは「善良な市民」にも通じる。

 

●アクティブラーニングの評価軸
アメリカの大学では、participationとcontributionという評価軸がある。
★いわゆる「態度目標」を提示することに違和感を持っているが、参加と貢献という評価軸もありえるのだろうとは感じる。
アメリカの大学での評価軸として聞いたら、ほぼ同じようなことなのに違和感を感じにくかったことに違和感を感じた。
アメリカの場合や、日本でアクティブラーニングの態度目標を設定する場合、どのように評価するのか、例えば実際に使われているようなルーブリックの例をいくつか見て、それを材料に考えてみたい。

 

●日本人の特徴
アメリカ人、インド人はできないのにできるという。
日本人はできるのにできないという。
★上記のようなことは確かにあるのだろうが、その良し悪しは状況によって変わる。
必ずしも日本人の持つ「謙虚さ」や「和を重んじる姿勢」がビジネスでマイナスに働くことばかりでもないように思う。
日本人の特性とアクティブ・ラーニングで育まれる能力がかけ合わさったときに、「新しい日本型の個性」を持つ人がたくさん育つかもしれない。

 

●受け身≠幸せ
「全て受け身」は楽かもしれないが、おそらくハッピーではない。
いつまでも愚痴が出てくるのだから。
アクティブであることは、幸せにつながる。
★「アクティブでなければいけない」ではなく、「パッシブよりアクティブの方が幸せになりやすい」というポジティブな語りにつながる。

 

●企業的な価値観が強調されすぎることの危険性。
競争力という言葉で語られるけれど、それだけでよいのか?
★「ビジョン」と「ゴール」に違和感を覚えたとしても、結果として生徒の成長に資する場が提供され、ポジティブな語りがされているのであれば、企業的な価値観も毛嫌いする必要はないのではないか?
プロセスとして何か致命的な欠陥があるようであれば考える必要がある。

 

●国際理解教育、やろうとする人が少ない。
正解がない、教科書もない、何から手をつけて良いかわからない。
国際理解教育に限らず、何か新しいこと、いいことをやり始めても「いいね」を押してもらえないとやめてしまう。
TwitterやFacebookがなかった時代には、そういうことが多かった。
やり続けることはしんどいから。
★それでもやろうとしたときに必要なことは何か。何が人間を支え、何が人間を動かし、何が人間を幸せにするのか。
やはり、「求道者のマインド」を持つことがまず大事。
それ以外に、良きメンターと良き友人、良きフォロワーがあるとよいだろう。
ではそれどのようにすれば得やすくなるか。そこも考える必要あり。