誰もが持っているデコボコ

本日放送された「世界仰天ニュース」で、アスペルガーとADHD(現在では自閉症スペクトラムになると思います)を持つ女性の話が放送されました。

 

「普通」でいられないことの苦悩。
周囲がその人に感じている「空気の読めなさ」と、「何度言っても伝わらない」感覚。
周囲も、いらだち、あきらめてしまう。
しかし、実際には心が壊れそうなほどに本人は苦しみ、生きづらさを感じている。
結婚して娘ができても、その娘から「お母さんの子どもに生まれてこなければよかった」と言われてしまう。
そんなとき、ふとしたきっかけで、自分が発達障害を持つことを知る。
すぐに家族に打ち明ける。
家族は、「当たり前のことなのにできない」ことの理由を理解し、苦手なことへのサポートを積極的に始める。
本人も、それを受け入れる。
そうして、生き辛さが軽減されていく。
娘も、「普通じゃないお母さん」が、自分のために苦手なことにも懸命に挑戦してくれていたことを知る。
そして、受け入れ、サポートを始める。

 

この話を見て、最後のあたりに涙があふれてきてしまいました。

誰もがそれぞれ生き辛さを持っているし、「普通」でないことに苦しむこともある
それは、人それぞれ、様々な能力に「デコボコ」があるから。
それは、良いとか悪いとか、価値観から独立し、事実として「デコボコ」がある。
でも、「デコボコがないフラットな状態」を普通ととらえてしまうと、それだけで色々な生き辛さを感じてしまう。
「発達障害」というのは、そういう名前をつけるのは簡単だが、簡単に言えばそのデコボコが人より少し大きいだけ。
「できること」も「苦手なもの」も、誰しもが持っているが、それが少し目立つだけ。
でも、それは、誰でも同じこと。
そのデコボコと寄り添い、お互いがそこを埋め合わせることができれば、お互いの生き辛さが減る

 

僕も、僕自身のデコボコの大きさで、それなりに悩み、それなりに生き辛さも感じて生きてきました。
でも、結局、そのデコボコ、生き辛さに寄り添ってくれる人と出会い、少しずつ少しずつその生き辛さが減ったように思います。
存在の否定は辛いものです。
何をどうすればいいのかわからず、考え、悩み、それでもうまくいかず、存在が否定され続けると、心は壊れてしまいます。
「自分と同じ」「(多くの)人と同じ」を単純に万人に要求してしまうのではなく、その人なりのデコボコを知ること、知ろうとすることが大切です。
そして、たったそれだけのことで救われる人もいるということです。

 

この番組で取り上げられた女性は、デコボコが比較的大きい「特殊」な例のように思えるかもしれません。
でも、本当はそうではないと思います。
誰もが抱える生き辛さに、誰もが意識を向け、誰もが寄り添える。
僕の目指したい社会の姿と、この番組の家族の姿がリンクしました。
その美しさに涙したのかもしれません。


現実は簡単ではないと知っています。
それでも、こういう世界を目指したいと思うのです。
人間には、そういう世界を作る力があると信じます。
僕の「本当に教えたいこと」は「教えられないこと」でもあります。
だから、価値を語り、そして任せます。
誰もが生きやすい、笑顔になれる社会。それを目指したいのです。