"答え"ではなく"思考の材料"を

オーサービジット「生命倫理入門」

 

この記事では、以下のように述べられています。

 

禅問答のようだが、アクティブラーニングとは、それが何かを考え続けること。

 

確かに、禅問答のように聞こえますが、この通りだろうと思います。
個人的な感覚としては、他にも

 

教えるためには教えなければいい。

 

というようなことがあります。
これらの感覚も、講演会を聞いたから納得できるものでも、授業を見学したから腑に落ちることでもないと思います。
ただ、考え続け、実践し続ける中で「感じる」ものです。

アクティブラーニングには決まった型はない、ということをよく聞くようになりましたが、それをもう少し深めるとこういうことになると思います。

「答えがない問題」に挑める生徒を育成しようという教員自身が「答え」を求めてしまうことへの危惧がこの記事にはあります。


だからといって、様々な実践報告がムダであるとか、そんなものに頼らず自分の頭で考えるべきだとは思いません。

それは、「思考するために知識はどれだけ必要か」という問題と構造が似ています。
これに対しては、「思考するのに必要なだけの知識が必要」としか言えません。
決定的なのは、「知識のツール化」という基本的な構えです。

アクティブラーニング研修会や講演会が急速に増えています。
そこに「答え」を求めるのではなく、「思考の材料」を求めることが大切です。
どれだけの実践例を知っておけはいいかと言えば、「自分の実践を組み立てるのに必要なだけ」ということです。

この記事では生命倫理についても非常に示唆深い内容が書かれており、よい学びになりました。