会ったことのない誰かのために

今日はある都立高校にお声かけいただき、「アクティブラーニング校内研修会」の講師をしてきました。
悉皆研修ではなく、希望者のみが参加する研修で、試験期間の午後を利用してのものでした。
希望者のみ、かつ試験期間で問題作成や採点等の業務があるにも関わらず、約30名の方が参加されていました(!)。
率直に驚きました。

 

最初に体験授業をし、その後プレゼンテーションを行いましたが、こんな得体の知れない一教員から真剣に何かをつかもう、盗もうという空気が「場」に流れており、これまた驚きました。

体験授業の最中、休憩時間、終了後と、様々な先生にお声かけいただき、またご質問いただき、「ここには、こんなにも目の前の生徒のことを考え、新しい何かを吸収し、変わろうとしている人たちがいるのだなぁ」と、そのエネルギーに元気をもらいました。

 

ある方は「衝撃を受けました」とおっしゃっていました。
「何が衝撃的でしたか?講義の時間の短さですか?」と質問したところ、「そうではなくて、単に教科の内容のこととかではなく、何というか、生徒の人生をよりよくということまで考えているのだということに衝撃を受けました」とお答えいただきました。

 

別な方とは、数学でのアクティブラーニング導入について、かなり突っ込んだ対話ができました。
話を聞いて、いきなり全部は難しいけれど、部分的には導入してみたい、とおっしゃっていました。
疑問に思っていたことも、すごく納得いただけたようで、「話を聞いて、これならやってみたいと思いました」とおっしゃっていました。

 

8月に講師をさせていただいた、都立高校のアクティブラーニング型授業実践研究会に参加された先生からのお誘いで今回の話が生まれました。
その方からは、「アクティブラーニングって初めて聞いたときに、前からやってることなのに、何をいまさらと思ってましたが、自分自身が、8月の研修会で衝撃を受けて、是非このことを自分の学校の先生にも知って欲しいと思い、先生に声をかけさせていただきました。本当にありがとうございました」と言っていただけました。

 

自分の話が、誰かの心に響くこともある。
それが、会ったことのないどこかの生徒に伝えられ、また響くことがあるかもしれない。
そんな感覚がいかに幸せなことか。
そういう機会をいただけることがいかに幸せなことか。

人前で話す営みは、「種まき」だと思います。
その種が芽吹こうが芽吹くまいが、種をまき続けることに意味があると信じてそれを続けます。


ときに、そこにどれだけの意味があるのか迷うこともあります。
実際に、気持ちが落ち込むこともあります。
ただ、「芽吹き」を実際に目にしたり、「芽吹きの予感」を感じたりすると、迷いの中でも、そこでしか得られない喜びがあります。

 

今日伺った学校からは、僕自身の人生にエネルギーをたくさんいただけました。

Mr.Childrenの「彩」という曲に、こんな歌詞があります。

 

"僕のした単純作業が この世界を回り回って
まだ出会ったこともない人の笑い声を作ってゆく
そんな些細な生き甲斐が 日常に彩りを加える
モノクロの僕の毎日に 少ないけど 赤 黄色 緑"

 

精神的にとても苦しかった時期に毎日元気をもらっていた曲です。
この歌詞のことが頭をかすめて、何だか嬉しくなったのかもしれません。

そして、日々の授業も「種まき」です。
原点に立ち返るような思いです。

一つ一つの仕事、一つ一つの出会いや「縁」を大切に。
そんなことを考える帰り道です。