”情報”の共有、”想い”の共有

先日の「情報交換会」を振り返って、田畑さんが書かれたコメントがものすごく腑に落ちたのでシェアさせていただきます。

 

"「情報」の共有よりも、「想い」の共有が大事なのかもしれませんね。
情報はいろんなところから引っ張って来れるかもしれないけれど、想いは実際に触れると余計に振幅がますのでは、とそんなことを感じました。"

 

「情報の共有」よりも、「想いの共有」。
これは、対面での情報交換会ならではの良さなのだろうと感じます。

 

僕自身も、講演会等では「情報」よりも「想い」に刺激を受けることがしばしばあります。
それは、「情報」ではなく「感動」を求めに足を運ぶライブやコンサートでも感じます。
演奏そのものの技術的な良し悪しや、そこに詰まった「情報」ではなく、奏者・演者の「想い」を感じたときに、どんなに稚拙であっても心を動かされます。

 

昨年の7月に、西川先生の「語り」を聞いたときに感じたことを、ブログに書きました。

ここで得られた「情報」は、西川先生の著作を読めば得られるものがほとんどだったと思います。
しかし、この講演の価値は、「情報」ではなく「想い」にあったと今でも強く思いますし、そのエネルギーを覚えています。

今月の『学び合い』フォーラムも、日生教

とのバッティングで最後まで参加を悩みましたが、直前で、「熱」や「想い」にどうしても触れたくて参加を決めました。
終わってみて、会場に溢れていた「熱」や「想い」を強く覚えていますし、それが自分にとって圧倒的な「体験」となりました。

 

時間やお金を投資してでも、様々な会合に参加する意義。
それは、「質の高い情報を得る」ことだけではありません。
むしろ、質の高い情報をコンパクトに得るだけであれば、書籍の方が価値が高いかもしれません。
そこを越えた、他には代えがたい価値。
その一つが「想いの共有」なのだと思います。
その価値は、「学校」や「授業」の価値にもつながっていくものです。