教員の一人称

免許状更新講習での対話。
自分のことを「先生」と呼ぶかについて話し合う時間がありました。
同じグループになった中学校の先生では4人中3人が「先生」と呼んでいました。
生徒と教員との「線引き」をしているそうです。
指導する側とされる側がはっきりとするから、「先生」の指示に従っていればよく、生徒もその方が楽、という話もありました。
線引きをしないと、生徒はズカズカと無礼に接してくる、といことです。

 

逆に、「先生」と呼ぶことによって、教員が特別であるかのように区別してしまうことになるからよくない、と言う中学校の先生もいました。

 

僕自身も、「先生と言わないなら、じゃあ、自分のことを何というか」と聞かれて、「僕、とか言います」と言うと、怪訝な顔をされてしまいました。

 

校種の違いによる「文化」なのでしょうか。
思えば、金八先生も、一人称は「先生」だったと思います。
「先生」という一人称を使わないと実現できないものとは何でしょうか。
あるいは、「僕」という一人称を使ったときに失われるものとは何でしょうか。
僕にはよくわかりません。
中学では、授業開始の号令などもきっちり指導しているという話を以前に聞き、教育活動を通じた「しつけ」という側面をかなり重視しているのだろうと感じたことがありました。

 

教員の考え方もやり方も在り方も多様でいいと思うのですが、「権威」というものが果たしてどこまで必要で、どこまで有効か、という点については、現状としてどんな考え方に基づいてどんなやり方が取られているのか知っておきたいと思いました。
それは、「これから」の大きな波を現場でどう受け止め、どう変わっていくかということにも大きく関わっているように思えるのです。
まずは知ることから。そして対話することから。
何事も、それが大切です。