授業の"面白さ"とは何か

今日の首都大学東京の教員免許更新講習で、少し時間をいただき、アクティブ・ラーニングに関する実践紹介をさせていただきました。
その後の質疑応答で、ある方からこんな意見をいただきました。

 

生徒に提示している目的や課題が面白くない。
よくこの内容で生徒は取り組むなぁ、と思った。
内容が面白くないと、生徒のやる気を引き出せないのではないか。
生徒が面白いと思う授業をして、考えさせればよい。それが重要。

 

それに対して、僕はこんな風に回答しました。

 

内容の面白さだけではなく、「わかる」ことそのものの面白さや、協働することの面白さを感じてほしい。
それは生物に閉じない汎用的スキルになりうる。

 

しかし、それは結果としてほとんど何も生み出しませんでした。
教員が用意した「面白いネタ」で、生徒の興味関心を喚起し、考えたくなるような面白い発問をし、双方向で進めていくのがよい、というご指摘でした。
松浦先生は、「それは初期の段階で、やがてはそういう教員主導をやめるのか。高校を出た後にそういう面白い課題を与えてくれる人はいなくなってしまうから」とお聞きになっていましたが、「最後まで教員が引っ張ればよい。生物の授業は生徒に面白がってもらって、考えたくさせればよい」という回答でした。

 

この一連のやりとりは、僕にとってはそれなりにショッキングな出来事でした。
でも、冷静になって考えてみれば、僕も初任校では、ほとんど似たような発想で「面白いネタ」を山盛り用意して、生徒を「楽しませる」ことに一生懸命だったことを思い出しました。
あの頃の自分が、今の自分のプレゼンを聞いたとして、果たしてどれほど響いたのか。

 

でも、今となっては、ほとんどのことが「自明」になってきてしまっています。
僕は、以前のような「教員の作る面白い授業」には戻ることはないでしょう。

 

東京にも、全国にも、熱心に教材研究をして、熱意溢れる「面白い授業」を展開し、生徒を引っ張ってきた方がたくさんいると思います。
その営みは素晴らしいことだと思います。
でも。
ここ最近でインプットした「これから起ころうとすること、やってくる波」を思うと、心がざわつきます。
でも、少なくとも今日の僕は無力でした。

 

「面白い授業」は、単純に否定されるべきものではないと思います。
少なくとも、懸命に教育にエネルギーを注いできた方の想いを簡単に「否定」することは生産的でないと思います。
でも、だからといってこのままでよいとも思えません。
そうは言っても、今の僕には、僕の大切にしている「価値」を語る以外にやりようがありません。

 

アクティブ・ラーニングの大きな波がやってきています。
でも、今日の心のざわつきは、これから現場に訪れるであろうジレンマなのかもしれません。

 

日本の教育全体は変わっていくべきだろうと強く思っています。
でも、これまで積み上げてきた現場の想いもまた大事にできないものかとも思います。

 

これからどんな波が訪れるのでしょうか。
僕には何ができるでしょうか。
皆がハッピーになるにはどうしたらいいのでしょうか。

 

いつもと同じ結論ですが、結局、自分にできることを積み重ねるしかありません。