アクティブ・ラーニングの定義の振れ幅

今日の首都大学東京での教員免許状更新研修で、松浦先生のスライドの中に、以下のような内容のものがありました。

 

●アクティブ・ラーニングとは
当面は・・・教師が一方的に話すのが中心ではない授業全部
本来は・・・なぜ学習をするか、何を学習するか、どのように学習するかを、生徒自身が決めて学習する

 

松浦先生自身は、学生の質問のみで構成する講義をしています。
いわゆる「双方向型」です。
これも、「教師が一方的に話すのではない」という点においてアクティブ・ラーニングの一つである、と位置付けていらっしゃいました。
当然、サンデル教授の白熱授業もアクティブ・ラーニングということになります。

 

おそらく、現場にアクティブ・ラーニングが導入されるときには、このような「拡大解釈」が歓迎されるのだと思います。
でも、最近出版された西川先生の「アクティブ・ラーニング」本2冊を読んで、文科省の定義とのズレを感じてしまいます。
文科省の定義は、以下の通りです。

 

学修者が能動的に学修することによって、認知的、倫理的、社会的能力、教養、知識、経験を含めた汎用的能力の育成を図る学修のこと
※現在ではこの定義は変更され、シンプルに「主体的協働的学び」となっているものもあるようです。

 

なんでもかんでも、文科省のいうことを盲信する、ということではありませんが、僕には文科省のビジョンは共感できるものです。
特に、「倫理的、社会的能力」が含まれている点が重要だろうと思います。

 

文科省の定義では「学習者をどう能動的な学習者にするか」だけに閉じていないのです。
また、「教科・科目の深い理解を達成する手段としての能動的学習」では不十分だと指摘しているのです。
松浦先生の「本来」の定義においても、実はこの部分が落ちているように思います。

では、どうすれば倫理的な側面まで包含できるのか。
西川先生は『学び合い』ならそれができると本の中で述べています。
僕も、そこに大きな可能性を感じるので、『学び合い』を実践しています。

 

東京都教育委員会は、いつかの研修会で、アクティブ・ラーニングを「主体的かつ協働的な学び」というように説明していました。
おそらく、同じように、それぞれの教育委員会で、様々な解釈がなされ、現場に降りてくると思います。

アクティブ・ラーニングの定義は、かなり振れ幅があるし、今後もその振れ幅は大きいまま残ることでしょう。

 

アクティブ・ラーニングの定義の振れ幅は、「授業そのものの目的は何か」に対する多様な考え方の振れ幅でもあると思います。
僕は、「倫理的、社会的能力を含めた汎用的能力」の育成を目指すアクティブ・ラーニング、すなわち『学び合い』の考え方に基づくアクティブ・ラーニングを展開していこうと思います。

 

でも、本当に願うのは、どんな形でも、どんな考え方でも、「これから」を生き抜いていけるような生徒の成長につなげたいということです。
方法も、考え方も多様でよいかもしれませんが、見据える先は共有したいと強く思うのです。

今日の議論は、「考える」ということや、アクティブ・ラーニングについて、かなり深く議論し、考えることのできる機会であったと思います。
それでも、上記のような話は話題には出ませんでした。
僕自身は、それを発言するか否か躊躇しました。
情けないことです。
このことはとても重要なことです。
今後はきちんと情報共有だけはしていこうと思いました。
そして、多くの方と情報交換し、議論し、日本の教育をよりよいものとできるよう努力していこうと思います。