それでも“書く”ということ

今日、本当に久しぶりに「(とりあえず)原稿に追われていない」状態を実現することができました。
〆切を過ぎてご迷惑をおかけしていた分も、とりあえず提出はできたので、「待つ」状態です。
本当に本当に多くの方に迷惑をかけてきて(現在進行形で迷惑をかけている方も多数いらっしゃいますが・・・)、何とか今の状態を実現することができました。
夏期講習も全て終わった後の、この3連休が本当に大きかったです。


2年前に日本生物教育会の東京大会の記念誌の1冊を執筆・編集の立場で関わらせていただき、最後は「執念で何とかしがみついて」完成させることができました。
あの時のプレッシャーと、いつも何かに追われている焦燥感に対して、「人生で本当に頑張るときはそう何度もないだろうから」と割り切っていました。
しかし、振り返れば、あれ以来、様々な仕事がつながり、またつながり、一時も「心休まる」ことがなかったように思います。
あの時の焦燥感と、この2年間ずっと付き合い続けてきたようにも思います。
記念誌の準備段階からすれば、もう6~7年この状況が続いていることにもなります。
そして、今も、「とりあえず提出」の状況を実現しただけで、恒常的にその状態ではありません。


今のまま走ろうと思えば、この先もこの状態は続くでしょう。

原稿を書く仕事をいくつもやってみて、どの原稿も必ず「壁」に当たっていました。
一度「壁」に当たってしまうと、もう何をどうあがいても書けません。
いくら時間を費やしても、アイデアが湧かず、そもそも原稿を書くためのモチベーションが著しく低下してしまいます。
その状態に陥ると、それはすごくストレスになります。
なぜかはわからないのですが、書けなくなります。
もう何度も経験しました。
その度、いつ書けるともしれない原稿のために、何時間もパソコンの画面とにらめっこして、結局何も書けないなどということもままあります。
そんな状況を経験するたびに、
「自分は一体何をやっているんだろう・・・」
「自分は一体何をしたいんだろう・・・」
というモヤモヤが心を支配します。


これからの人生をどう過ごしていくのがいいだろう。
このところ真剣に色々と考えています。
単純に言えば、今の生活をずっと続けていくのか、続けていけるのかということです。
例えば、学校の仕事がこれだけ忙しい中で、外仕事として「書く」ということをどこまでどのくらい許容するかということです。
この場合、どんな選択肢を選んでも後悔はあるでしょうし、逆にどんな選択肢を選んでも、それを正解にすることもできると思います。

ここ数日で考えるヒントとなる材料をいくつか手にしました。
それはおいおい書けるといいなぁと思いますが(こういうプレッシャーのかからない書き物は瞬時に書けてしまうのですが・・・)、ある程度頭の中で整理できかけています。


それでも僕は“書く”のだと思います。
理由はいくつもあります。
それに伴う困難もいくつも思いつきます。
家族も巻き込みます。
でも、僕は“書く”ことがある限りは“書く”ことを選ぶと思います。
頭を下げることになっても、焦燥感に襲われても、やっぱり“書かない”よりは後悔しないと思えるからです。


以前にお話した社会人の方で、
「選択肢が2つある時には、自分の中でのルールがあって、必ず“ザラつく”方を選ぶ」
と話していた方がいました。
それに近い感覚かもしれません。
僕自身はこれを自分の力で「正解」の選択肢とします。
「絶対解」ではなく、「納得解」という意味で、です。

そんな覚悟が何だか胸に湧いてきて、夜中のテンションで書きなぐってしまいました。
とりとめもない思考プロセスの殴り書きだと思ってください。
でも、本人はいたって真剣に“これから”を考えています。
やれること、やらなければならないこと、やりたいこと、できること。
そして全てを削ぎ落とした結果として「本当に大切にしたいもの」。
この夏に時間をかけてじっくり考えてみようと思います。