あっさりとモヤモヤ

昨日は、勤務校の卒業式でした。
3年目のクラス(無学年制なのでこういう呼び方になります)の担任で、卒業生も出しました。
しかし、体調不良で月曜から倒れてしまい、夜には39度を超える発熱。
昨日も、朝体調が回復しなかったので、結局卒業式には出ることができませんでした。
都立高校9年目にして、初めて卒業式に出ないという経験をしました。


卒業生を出すのは、これで3回目になります。
過去の2回は、前日に溢れてきた想いを綴り、学級通信の形で渡していました。
しかし、今回は、とにかく式後のHRにだけは這ってでも行こうと、そればかり考え、体調の回復に専念しました。
「思いのあふれる学級通信」は、ついに書けませんでしたが、式後のHRには何とか参加できました。


式の最中、式場外でぼんやりと色々なことを考えていました。
これまでで一番「暑苦しく語らない」学級経営をしました(授業も同じです)。
それは、もちろんメリットもデメリットもあるわけですが、今の自分はこういう在り方なのだなぁと思います。
全体に対しての語りの熱量の少なさに比して、個人面談では、ほとんどの生徒に対して「厳しさ」を持って接しました。
それが原因で、何人もの生徒とすれ違いが生じましたし、最後までそれを修復できずに終わってしまった生徒もあります。
でも、「嫌われないような生き方」ではなく、「本当に大切だと思えることを伝えられる生き方」を選んで、嫌われることを厭わなくなったという自分の変化も感じます。
積極的に嫌われようとは思いませんが、目の前の生徒に対して、(自分のしてきた失敗もふまえて)幸せの感受性を高めていけるような話を常に心がけた「つもり」でした。
必ずしもうまくいったことばかりではないですが、今の自分にできることはそれだったのだと納得はしています。


最後のHRは、卒業生全員に皆の前で話をしてもらいました。
これも、過去の2回と比して、非常にあっさりと、すっきりとしたものでした。
この雰囲気も、ある意味では自分のしてきた学級経営の鏡みたいなものなのだと思います。

全てをひっくるめて、今年度を象徴するような「あっさり」とした1日だったなぁと振り返ります。
そこに少しの寂しさや「やり残した感」を覚える自分もいます。
でも、後悔はなく、納得はしています。


「積極的に関わる指導」から脱却したため、かけた時間は圧倒的に少なくなりました。
「ただただ厳しいことを言われただけ」という生徒や、「特に何も関わりがなかった」という生徒もたくさんいることと思います。
もっと関わるための手段はありました。
でも、それは使いませんでした。
寂しさとやり残しの「具体」が何か、自分の中で全く整理されていませんが、それは向き合い続け、考え続けることで、時間とともにわかってくることだと思います。
そうすれば、来年度からの自分につなげていくより他ありません。


若干後ろ向きな僕とは対照的に、生徒はほとんどが皆、明日からの希望に溢れたいい表情で巣立って行きました。
何人もの生徒から直接感謝の言葉ももらいました。
いい顔をしていました。
モヤモヤしているのは僕だけで、生徒は「あっさり」と希望に満ちた日々に向けて巣立っていく。
卒業式はこれでいいのかもしれないと思います。
自分がスッキリするための卒業式は、結局「自分にスポットライトが当たっている」ことにしかなりません。
こういうことをじっくりと考えることができたのだから、卒業式に出られないということも悪いことばかりではありません。


卒業式という節目の日に、「自分の気持ちのスナップショット」を残しておくということは意味のあることだと思い、つらつらと書き連ねてみました。
何とも言語化しにくい、モヤモヤした気持ちが残る卒業式翌日ですが、まだまだ今年度中にやらねばならない仕事が山積みです。
目の前の仕事に、淡々と、でも真摯に向き合い続けようと思います。
次の卒業生を出せる日がいつかはわかりませんが、その「節目」まで、価値あると思える日々を積み上げて、自分自身は次のモヤモヤを感じながらも、後ろなど見ずに爽やかに巣立っていく生徒を育てたいと強く思いました。