「クラス担任」について思うこと

明日は、卒業式前の最後のHRです。

今担任をしているクラスは、昨年の1月、年度途中から引き継いだクラスです。

今から1年2か月前、初めてのHRで配布した学級通信に、「クラス担任について思うこと」という文章を掲載しました。

この文章は、2012年9月25日、井草高校で担任をしていたクラスの同窓会に参加し、その後書いたものです。

明日、もう一度同じ学級通信を配布しようと思います。

言いたいことのほとんどは、結局のところこの文章に詰まっていました。

1年たった今、卒業を前にして、日々を思い返しながらもう一度読んでもらいたい文章です。

以下、学級通信からの転載です。


9月25日、担任していたクラスの同窓会がありました。
クラス40人中、最終的に20人が参加してくれました。
集合時に、ある教え子が、
「あれ?なんか全然懐かしい感じじゃないなぁ。むしろ普通」
と言っていましたが、自分自身はまさにそんな感じです。
ついこの前まで同じ教室にいたような感覚。


色々な教え子と、色々な話をしました。
バカなこともあったし、少しは真面目な話もしました。
いい報告もたくさんたくさんありました。
今、自分はこういう風に頑張っている、そんな話はとても嬉しい。
本当に、とても嬉しい。
また、参加できなかった残りの20人についても、大半について近況を知ることができました。
直接ではないけれど、友人へのメールを通じてメッセージをくれた生徒もいました。
これだけで、もう十分に嬉しい。


せっかく「担任」を呼んでくれているのだからと、タイムカプセルのつもりで、当時の学級通信を配りました。
「2008年夏の思い出」と「2009年の抱負」を全員分まとめたものです。
瞬間的に盛り上がりました。
担任として参加した意味のほとんどはこれで果たしたと思いました。


最近の自分が考えていたことも、プリントにして用意はしていきましたが、少しだけ配って、後は持ち帰りました。
この日の雰囲気からしたら、野暮なことでした。
楽しいだけでいいし、楽しいだけが素晴らしいんです。


ここ一年で様々な卒業生に会ってきました。
卒業生と会うと、自分の教育はどこまでどんな意味を持つのだろうと、いつも考えてしまいます。
自分の無力さに愕然とし、打ちひしがれたこともありました。
全力で生徒と向き合い、彼らに伝えたい想いを持って、日々の授業を行っていた「つもり」でした。
でも、5年後に何も残せていなかった、何も伝えることができていなかったことが分かってしまいました。
しばらく仕事が手につかないほどに落ち込み、自分は何が残せたんだろうと自問自答しました。
しかし、いくら考えても「答え」が出るはずもなく、できたことは、ただ日々の仕事を「こなす」ことだけでした。


一方で、多くの卒業生とは「楽しい」時間を過ごすことができました。
ある生徒は、「まだ先生の授業プリント全部持ってます!」とわざわざ持ってきてくれました。
その笑顔に、とても力をもらいました。
こんなメールをくれた生徒もいました。
「理想の教師像を考える授業。その前日、先生の授業のプリントを見返してみた。やっぱり自分は先生のような教師になりたいと、強く思えた」
少なくとも一人の生徒が、背中を見て何かを感じてくれていた。
ありがたいことです。
世間的に見れば、小さいことかもしれません。
しかし、個人的には、教員として確かに何かを残すことができたという実感を得られた、とても大きなことです。
そうして卒業生を巡る様々なことを考えながら、あらためて「学校」や「教員」の役割を考えてみました。


「学校」は、生徒の次のステージへのステップ。
教員は、それぞれの想いを持って、さまざまな教育活動を行う。
しかし、5年後、10年後に何も残せていなかったり、何もかも忘れられていることもある。
それでもいい。
何も残せていないからといって、忘れられたからといって、意味がないわけではない。
高校生時代は、自分と向き合い、将来と向き合い、日々悩み、苦しみ、もがいている時期。
そんな時期に、彼らのために、本気で何かを伝えようとした。
それは、たとえ後に残らなくても、確かにその瞬間には彼らにとって必要なもの。
忘れられてしまうような、小さな小さなことの積み重ねで人間は形作られる。
自分自身も、自分という人間が、どうやって自分になったのか、全てを振り返っては思い出せない。
思い出せないようなことでも、確かにそのときの自分には必要だったことが山ほどある。
つまりはそういうこと。
教員として、うまくいくことばかりではない。
ときに、うまくかなかったり、嫌われることもある。
でも、そのときは、生徒にとって必要な「壁」になれればいい。
5年後、10年後、20年後に、自分の伝えたことが生徒の中で生きていれば、それは素晴らしいこと。
でも、そうでなかったとしても、その瞬間瞬間に彼らと本気で向き合い、伝えたことは、人生のほんの小さなステップにはなっているはず。
そうして踏まれて、その分少しだけ彼らが成長して、そして忘れられれば、それでいい。


「教員」の重要な仕事は、「教科教育」だけではなく、「場」の提供。
学校という、同年代の、様々な背景を持った人間がごちゃまぜになっている空間。
その中で、彼らが成長できる「場」を提供するのが、教員の重要な仕事。
授業でも、部活動でも、行事でも、普段の休み時間や放課後の風景でも、どこにだって色んな可能性が落ちている。
そこに、適切な「場」を用意してやるだけで生徒は成長できる。
誰が「場」をつくったかなんて気にせずに、ただその「場」で多くを経験すればいい。
そこで経験したことだって、多くは忘れてしまうかもしれない。
でも、そこで経験したことが次のステージにつながったということもある。


翻って、3年B組を振り返ってみました。
生物選択クラスの担任を持たせてもらい。授業で全力で様々なことを伝えました。
連絡だけで終わればいいものを、やっぱり伝えたいことが多すぎて、LHRをいつも目一杯使っていました。
体育祭や文化祭に、「全員」で何かをすることにこだわりました。
自習室を整備し、様々な本を買ってきては補充し、そこで頑張る生徒に声をかけました。
受験を一人でなく、「皆」で乗り切れるように、いくつかの仕掛けをしました。
バカなことをやった人間たちの人間臭さに、叱りながらも、心の中で頷きました。
彼ら一人一人からすれば、僕自分としてできたことは必ずしも多くないし、こちらが一生懸命ではっきりと覚えていることも、忘れられていることも多くあります。
「お世話になったこと」なんて質問に対して、何もないなんてこともあるでしょう。
でも、色々な「場」は作れたはずです。
だから、色んなことが起きたのだと思います。
僕がいる場面ではなく、いない場面の方が色々なことが起こっているし、彼らは成長しています。
そこに自分はいなくとも、そのことが嬉しい。
大事な事実は、彼らが自分の人生を生きられていること。
彼らは、確かに自分の人生を生きていました。
素晴らしいことです。


同窓会に来ると、まるでタイムスリップしたかのように、色んな景色や場面が頭の中を駆けめぐります。
どこにこんなに記憶が埋まっていたのだろうというくらいに。
そんなことを思いだして、楽しいことを中心に、旧い仲間と語らう。
同窓会に、これ以上の意味があるでしょうか。
だから、結局は、楽しいだけでいいし、楽しいだけが素晴らしいんです。


ただ、卒業したあとに「教師」としてできることはとも考えます。
教え子からのいい報告はたくさん聞きたいですし、「この人に報告したい」と思ってもらえるのも嬉しい話です。
でも、うまくいっているときには、人は集まってくるし、人の集まる場所にも足が向くものです。
うまくいっていないときには、そうではないかもしれない。
自分から人と距離をおくかもしれないし、人もあまり寄ってこないかもしれない。
でも、そんなときに横にいてくれた人が本当に信頼できる人です。
だから、教え子が「よくない」時にこそ、少しでも力になりたいと思っています。
欠席した人間も含めて、今の彼らに僕は必要ないようです。
それは素晴らしいことです。


同窓会の日に、彼らが1月最後の登校日にくれた色紙を持って行きました。
それは、僕への「Happy Birthday」と、「2年間ありがとー」がごちゃまぜになった、混沌とした色紙。
しかも、全員が登校していないものだから、全員分の書き込みもない、不完全な色紙。
こういうものは、卒業式の日にくれるものだろうと思っていたけれど、直前の1月に中途半端なものをもらって、ないだろうなぁと思っていたらやっぱり卒業式の日は何もなく、そして残った唯一の色紙。
「よくぞこんな中途半端なものを中途半端なままにくれました」と、ネタとして同窓会に持って行ったわけです。
それを回し読みしながら、「こんなんあったなー」と一時の会話のネタにはなっています。
僕の手に戻ってきたとき、その色紙の裏には、新しい書き込みが増えていました。
大半は「しょーもない」書き込みですが、大切にしたいと思います。


僕には夢がありました。
中学2年の時に、「教師になって担任を持ち卒業生を出す」という夢を持ちました。
その夢は実現しました。
そこで、自分の人生の一つの大きな幕が下り、新たな幕が開きました。
「酒が飲める年齢になったら皆でお酒ありの同窓会をしたい」という小さな新しい夢を持ちました。
そして、そのささやかな夢も、こうして叶ってしまいました。
幸せな人生を送っています。
幕が下りる、というほどではないけれど、中学2年からつながってきた一連の想いは、この文章とともに一旦ここで終了です。


卒業や、その後のことを考えるとき、大切にしている曲があります。
Mr.Chiidrenの「旅立ちの唄」です。
「手の届かない場所で背中を押してる」
そんな気持ちで、卒業式の日も、同窓会の日も、彼らを見送りました。
いつの日か、また彼らと再会しましょう。
それまで、しばらくの間、手の届かない場所で背中を押すことにします。