「2つ」ではなく「両輪」

U先生との対話メモ


教師の仕事は「世界を見せること」と「場の設定」
これは両輪。どちらが欠けてもいけない。
共感できる教育実践は、この両方を含んでいる。
先生は「先に生きる」と書く。先に生きてきた分、生徒の知らない様々な世界を知っている。
それを見せることはできる。
そこで内発的に動機付けられたら、何らかの場を設定すると生徒は成長できる。
教育実践を見るときにこれらの要素がどのくらい含まれているかを考えるようになった。
どちらかしかないのは物足りない。
「一方的な語り=世界を見せているが場の設定がない」
「とにかく自由に活動させるアクティビティ=場の設定だけで世界を見せることができていない可能性」
これらを伝えるのは部活動が考えられるが、学校生活で最も時間を使っているのは授業。
授業も含めて全ての活動で意識したいこと。


「両輪」という語をなぜあえて使っているのか。
単なる「二つ」ではなく、「両輪」という言葉に何か意味があるのだろうか。


おそらく、driveという語のニュアンスではないか。
生徒を「driveする」というイメージは日本語で上手く表現できないけれど、そのイメージから「両輪」という語がいいのかもしれない。