大学はなぜ特殊な”場”か

大学で得た「今、もっとも役立ってること」って何?


「あなたが大学で学んだことで、今、いちばん役立っていること」に対して、「サークル、バイト、旅行、読書」などを答えている場合には、「授業料の対価として得られたものではないのでは?」という指摘。
「大学時代は、モラトリアムの延長?」ということをあらためて考えてしまいます。


ちきりん氏の、「大学行かなくてもいいのでは??」ということのいくつかの例示は、あまりにも現実離れしていて極論だと思いますが、でも、「現実と合わない」というだけで思考停止するのも情けない話です。


僕自身は、大学の持つ「目に見える“授業料の対価”」だけでなく、大学という「“場”の持つ価値」あるいは「大学生という社会的身分のメリット」も相当に重要だと感じていますが、その機能を他の“場”で代替できない(あるいはしようとしない)のは、前提として「その世代が集まる“場”としての機能を持つ大学」が世間的に(無批判に)受容されており、その結果「だったら大学に行かないとそういう“場”が得られない」という意識が醸成されているからだと考えます。


大学に行くのが“場”として最適 → 皆大学に行く(他の“場”の空洞化につながる) → 大学にいくのがやはり“場”として最適 → (以下、スパイラル)


という構造があると思いますし、「他の“場”との比較考量」という観点でも、高校生には十分な情報が提供されていない可能性があります。
僕自身も、そこが弱く、これからの課題だと感じています。


記事の最後にある


“大枚はたいて大学に行く価値は何なのか?
みんなもーいっかい、よーく考えたほうがいい。
もしも「みんな行ってるから行ってるだけ」なら、そのうち行かない人が増え始めたら「行かない人も増えてきたから行かない」→「みんな行かないから行かない」に変わっていく可能性は、十分にあるんじゃないかな。“


という指摘は重要です。
「とりあえず大学行くべし」的な意識に対する批判に対して、高校生自身は向き合い、じっくりと考える“場”を提供できないかと考えています。