主体性は育成できているか

タイトルにハッとするブログ記事。

「主体性」と「自主性」の違いをあなたは言えますか?


恥ずかしながら、あまり意識したこともなく、明確に説明することができませんでした。

記事より引用すると、以下のような違いがあるようです。


“自主性とは、他人からの干渉や保護を受けず、独立してことを行うこと。もう少し噛み砕いて説明すると、自主性は単純に「やるべきこと」は明確になっていて、 その行動人に言われる前に率先して自らやることである。”


“主体性とは、様々な状況下においても自分の意志や判断で行動するということ。つまり「主体性」は、何をやるかは決まっていない状況でも自分で考えて、判断し行動するということになる。”


質問にハッとしただけでなく、説明を読んでさらにハッとしました。

さらに、こんなものもありました。
「ToDo管理」と「タスク管理」の違い

なるほど。


ここまでの材料から、「教育現場では主体性がどう捉えられ、生徒に伝えられているか」が重要であると認識しました。
この「自主性・主体性問題」は、けっこう根深いかもしれません。
例えば、部活動。
一般的には、授業よりも部活動で人間的な成長があると考えられているようで、現場でも部活動を通じた成長を重視していることが多いように感じます。
部活動には、「自主練」があります。
自主練を進んで行う部員は、他の部員の範となります。
しかし、ここでの理解から解釈すると、「やると決まっていることを言われる前にやっている」にすぎないということになります。
それでは、「主体練」はどうでしょうか?
聞いたことがありません。
「何をやるか決まっていない状況で、自分で意思決定をする」場面がほぼないということでしょうか。
では、「やるべきこと」とは、誰がどのように決めたものなのでしょうか
この根には、もしかすると部活動顧問、あるいは外部指導者、OBコーチなどの「専制君主制」があるのかもしれません。


部活動をはじめ、学校教育では、「自主性」を身に付けさせることを疑うことなく「是」としてきたのではないでしょうか。
 僕自身は、「自主性を重んじる教育」という表現にそれほどの違和感を感じませんでした。
しかし、これって実はとても恐ろしい表現なのではないだろうかと、今あらためて思います。
誰かが決めた「やるべきこと」を、言われる前にやる。
そうして、誰かの望む状況を実現することに貢献する。


逆に「主体性を重んじる教育」は、避けられてきたのではないでしょうか。
自分の頭で考えて行動する生徒ばかりになってしまったら、ある意味では厄介な状況が生まれます。
例えば、授業中には「黒板を写し、与えられた問の答えを出す」というToDoがあります。
これを、「最終的に教科書の中身がわかればOK」というタスクとし、各自の判断で授業の時間を過ごすことになるとどうでしょうか。
生徒たちは「勝手な」活動を始め、授業のコントロールは失われ、秩序が維持できないということになるのでしょう(本当はそうではないはずですが)。
「アクティブラーニング」が話題になっており、これからの教育のキーワードの一つとなっていますが、これも「自主性」だけでなく「主体性」を重んじるような運用を意識する必要があります。


こういうことを考えれば考えるほどに、『学び合い』の可能性を感じます。
また、「プロジェクト学習」の可能性を感じます。
自主性と主体性については、今ある課題と今後の方策を考えるために、重要となる視点だと感じました。