アクティブラーニングに関する対話から

今日は、「高校向けのアクティブラーニングの教材開発について話を聞きたい」ということで、ある出版社の方とお話をしました。


一問一答→重要例題→演習問題
という、一般的な流れでの問題集作成の発想と何がどう違うのかについての話を中心に情報交換させていただきました。
アクティブラーニングといいながらも、中身は『学び合い』を意識したような内容になってしまいましたが・・・。


僕からは以下のようなことをお話しました。


●「目的」「ゴール」の明示
●方法の多様性の容認
●絶対解と納得解、クローズな問とオープンエンドな問
●目的と評価の一致
●コミュニケーションツールとしての用語の位置付け
●内容知と活用知
●汎用的能力と数値による評価からの脱却
●評価と外発的動機付け
●成長と内発的動機付け


現在、僕が行っている授業の設計と、定期考査等の評価の設計を軸に話を進めましたが、実に様々な疑問をいただきました。
終わりにさしかかったところで、
「僕としては、当たり前のことを当たり前にやっているだけだと思っています」
と話したところ、
「言われてみれば確かに当たり前だし、本当に納得します。どうして今までそういう発想にならなかったのだろうと思ってしまいます」
とコメントをいただきました。


僕自身も本当にこの感覚を味わってきました。
「言われてみれば当たり前」
簡単なことなのですが、なかなかどうして一人で思考してそこにたどり着くのは困難なのです。
だから、西川先生はじめ、先人たちの「肩の上」にのっていくことに意味があるのです。
また、このような「気付き」は、一人で思考しているときにもあるのですが、人との対話の際に「あっ!!」という感じで気付くものが、(個人的な感覚では)質・量ともに圧倒的です
ブレイクスルーとかパラダイムシフトとか、そういうことが脳内で起こるのって、やはり対話のとき何だろうと思います。
以前もどこかで書いたかもしれませんが、人に説明しながら、それを振り返って「あぁ、そういうことなんだ!すごいよくわかった」と自分で納得してしまうことがあります
感覚としては「勝手に口が動く」とでも言えばいいのでしょうか。
自分は(ほとんど無意識に)話した言葉に自分で納得して学びを得てしまうのだから、こんなに自己完結型な展開もありません。
聞き手が色々な情報を得ることができて得、と同じかそれ以上に話し手は得をしているのです。
そして、聞き手・話し手も次々に交代し、新たな気付きが得られ、思考が深まり、整理されていく。
しかし、繰り返しですが、このような学びは、対話をする相手がいなければ成立しないのです。
この感覚を、生徒にも出来る限りたくさん味わってほしい。
僕自身は今日の対話でまた思考が整理できましたし、気付きもいただきました。
今日対話させていただいた方にも、そんな瞬間が多少なりともあったなら、こんなに嬉しいことはありません。
アクティブラーニングの本質の一つの側面だろうと思います。