『学び合い』の「型」としての「全員達成」

授業で何らかの協働学習を志向する際のグルーピングについて今考えていることです。


●自由度の低いグルーピングのメリット・デメリット
●自由度の高いグルーピングのメリット・デメリット
●任意のグルーピング(グループに入らない選択可)のメリット・デメリット


くらいのざっくりした観点を持ちつつ、目指したい世界が実現しやすい仕掛けをすることが重要な気がします。


また、学習者の状態も


●固定化した集団で、固定化した小グループが存在している
●固定化した集団で、固定化した小グループが存在していない(流動性が高い)
●固定化した集団で、固定化した小グループが存在していない(そもそも交流を求めていない)
●緩やかに固定化している集団(決まった時間には決まった人が集まるが、それらが非常に多様)
●固定化していない集団


など、どんな状態にあるかも重要だと思います。
さらに、集団は常にその様相を変化させていきます
生物学で言えば、「生態系」をどう理解するかということです。

教員は、それらをトータルとして「見取り」、授業を経営していくことになります


ただ、上記のプロセスが「名人芸化」してしまうと、それは個人に閉じた実践になります。
さらに、それを見て真似てうまくいかないなどの展開も十分予想されます。

そのため、共有を志向する場合には、可能な限り、考え方も方法もシンプルである必要があります。

だから、『学び合い』においては「(課題レベルの)全員達成」がわかりやすいのだと思います。


僕自身にとっては、目の前の生徒に『学び合い』マインドを身につけてもらいたいということが最も切実です。
様々な実践の取り組みを紹介する中で(それらは共有を志向しているものです)、「それは大野さんだからできるのではないか?」という指摘とも向き合ってきましたが、まずはシンプルに自分の実践のみを追求するしかないのだと思っています。


そして、定期的に自分が思考したこと、実践したこと、その結果を振り返ることで「メタ視点」を意識し整理する。
そこから「何をそぎ落としてもいいだろうか」を深めていく。
うまくいっているから「そのままでいい」とか、「要素を加えてマニアックに追求する」のではなく、「削る」。


日本の「道」における「型」はこのようなプロセスで究極にスリムアップした「ノウハウ集」なのかもしれません。
しかし、「ノウハウ集」はやはり「ノウハウ集」でしかありません。
ノウハウの先にある大きな目的、つまり『学び合い』マインドの獲得を見失ってはいけないと思います。
日本の「道」にも、「型」の先に見える世界があるはずなのです(それを見てみたいと思うから、禅の「空」を知りたいと思うのです)。


方法論レベルで"万人"にうまくいく「原理原則」などないと思います。
しかし、そうでありながら「全員達成」が『学び合い』の初期段階で原理原則として語られるのはなぜでしょうか。
それは、様々な事例から、極限まで要素を削って、そして残った最大公約数的なものなのでしょう。
だから、『学び合い』マインドなる感覚的・抽象的なものを具体として「何か一つ」示すとすれば、これが一番シンプルで、そしてうまくいく「確率が高い」ノウハウなのだと思います。


「全員達成」のない『学び合い』についてすでに書きましたが、それは「全員達成」という型の修行があった後に初めて実感を伴って腑に落ちることだと思います。
それは、臨場感の問題だと思っています。
※臨場感については、こちらを参照下さい。


グルーピングについても、方法論としてシンプルかつ強力な原理原則を提示することは難しいと思います。
生徒の実態はあまりにも多様だからです。
あえていうなら、「全員達成」の提示になるのでしょう。


しかし、本当にシンプルかつ強力なのは 『学び合い』マインドそのものです
それがあれば、目の前の生徒集団を見取り、適切な語りと仕掛けができるのだと思います。