人間は空が飛べるか

U先生との対話より。
『学び合い』は「宗教」っぽく見える、という話について。


「人間も空を飛べる」みたいなことを真剣に言っているような感じなのかもしれない。
それに対して、「そうですよね!」とそれを真剣に信じている人がたくさんいる。
そして、外部から「空なんか飛べるわけないでしょ」と言われても、「飛べるに決まってる!」となる。
「人間が空を飛ぶ」は、突拍子もない例えだけれど、『学び合い』ももしかしたらそんなレベルの突拍子もないものに見えているのかもしれない。
でも、最初は突拍子もないものに見えていたけれど、やがてそれが少しわかり、少しずつ腑に落ちていって、ついには「自明」のものとなる
すると、「空を飛べる」が当たり前のことになり、「空を飛べる」ことが理解できない人のことを理解できなくなってしまう。
そして、「空なんか飛べるわけないだろ!」という批判の声に、「あなたは何もわかっていない!」と応じてしまう。
すると、両者の間には深く大きな溝ができ、断絶を生んでしまう。


もしかしたら、僕が「自明」のこととして語っていることは、「人間は空を飛べる」なのかもしれません。
わかった自分は、わからなかった自分に戻ることができません。
以前に、ある生徒が、「知ることは自殺に似ている」といったことがあってドキっとしつつも瞬間的に理解できないということがありました。
でもそれは、「何かを知ることで、それを知らなかった自分がいなくなってしまう」ということを表現しているのだろうと後から思いました。


時々の自分が何を考え、行動し、そして振り返りをして次につなげていったのか。
日々の実践や、感じていることの「記録」は、「今はもう消えてしまった自分」と対話するために大事な情報となります。
『学び合い』を知る前の自分には何をどう伝えればいいのだろうか。
それを考えることが、『学び合い』の宗教的な気持ち悪さからの脱却に必要なのかもしれません(これは『学び合い』に限ることではないとも思います)。