泥水を飲みに行くということ

「年収を下げて経験を買いに行く」 えふしん氏の「転職」論に共感集まる


"経験を買いに行くという転職"
"自腹を切って泥水を飲みに行く"

いい表現だなぁと思いました。


今の自分を冷静に分析し、長期的には何が必要かを決めて、動く。

ある環境で様々な経験をして成長することは大切です。
でも、最初に泥水を飲みながらもがいていた状態から、やがて「きれいな水」が手に入るようになると、「ずっとこのままきれいな水だけ飲んでいたい」という感情も持ってしまいがちです。
しかし、その「きれいな水」は、無限に湧き出る泉ではないのです。
だから、「あえて泥水を飲みに行く」という選択が自分に必要なときもあります。


プルーストの言葉にこんなものがあります。
「本当の旅の発見は新しい風景をみることではなく、新しい目をもつことにある」


海外青年協力隊の話を思い出します。
志のある若者が、懸命に準備をして、純粋な気持ちで海外に行く。
そこでは、「君の助けなど求めていない」というような態度をとられてしまい、困惑する。
そこから人間関係を築いていくサクセスストーリーもあれば、ある種泥水を飲み続けるしかなかったという苦い経験を味わう人もいる。
でも、新しい景色は見えなかったとしても、新しい目を持つことはできる
同じ経験をしても、「自腹を切って泥水を飲む」ことに通ずるマインドを持っていれば、その後の人生においてとても貴重な、得難い体験をしたとポジティブにとらえることができそうです。


生物も、「今、最もうまくいっているもの」ではなく、「変化し続けるもの」が長期的には生き残っていきます。
必要なことは、高度なスキルや湧き出る知識ではなく、変化をおそれず、変化を拒絶せず、ある時には必要な変化をあえて求め、そして変化し続けていくということです。


今の自分を、自分は過大に評価していないだろうか。
今の自分は、周囲から過大に評価されていないだろうか。
昔よりできることが増えて、「これでいい」などと勘違いしていないだろうか。
人から見て突拍子もないことだったり、価値がないことだったりしても、それが自分に必要な「泥水」であれば、積極的に飲みに行きたいし、行くべきだろうと思います。
それを判断できるのは、他でもない自分だけです。


目的は、「泥水を飲むこと」ではありません。
Mr.Childrenの"終わりなき旅"という曲の歌詞にはこうあります。


いいことばかりではないさ
でも次の扉をノックしたい
もっと 大きなはずの自分を探す
終わりなき旅


こういう次の扉に気付けない、あるいは気付いたとしても無視をしてしまう。
それは、恐れかもしれないし、慢心かもしれない。
でも、そういう状態になることが実は一番恐ろしいと感じます。
いつでも、そういう扉に気づけるアンテナを持ち、たとえその先に「泥水」があろうとも恐れずに開ける勇気を持つ
それは自分と向き合い、自分に向かって常に言い聞かせたいことの一つです。


<リンク先より引用>
“現在40代の男性Bさんも、大手出版社から30代の終わりにIT企業に転職。3割ほど年収が下がったが、タイミングよく経験を積むことで40代半ばで再び転職し、要職に就くことができた。


「もし転職していなかったら、50代で失業していたかもしれない。とはいえ、何の不自由もない環境を変えて、新しい経験をするのは本当にラクじゃない。若い人たちから相談されたときには、『転職とは自腹を切って泥水を飲みに行くことだ』と言っています」


えふしん氏が強調する「投資意識」
しばらく泥水を飲めば、その経験が生きて中年になって美酒を飲むことができるというわけか。もちろん転職のリスクがあり、泥水から脱却できる保証はないが、そのままでは泥水さえ飲めなくなるおそれもある。
この点について、藤川氏は「経験を買うための投資意識と回収への努力は意識的にやって欲しいかな」と綴っている。リスクを負うことで、初めてリターンが得られる。転職にも「投資」という感覚が必要なようだ。“