考え抜く姿勢について

「原核細胞、真核細胞はそれぞれ細胞分裂は可能か?」という課題に対して、多くの生徒がお手上げ状態でした。
面白かったのは、「真核細胞は細胞分裂しない」という議論があったこと。
バクテリアなんかが細胞分裂するのはよくわかっているけれど、真核生物が細胞分裂するという認識がないようです。
まだ、細胞周期や細胞分裂を扱っていないのですが、高校入学段階で、細胞分裂に対するフワフワした認識があるようです。


ある生徒はこんなことを授業レポートでこんなことを書いてきました。


●細胞分裂以外で細胞が増える術はない。細胞分裂って現象はすごい。


やはり、ウィルヒョウの提唱した「全ての細胞は細胞から」という概念は、素朴概念からは少し離れているのでしょう。
自分からするともはや当たり前のことでも、躓きの原因になるのだと再確認しました。

 

一方、こんなことも思いました。
「細胞が増える唯一の方法は細胞分裂である」
生徒から「本当に細胞分裂しか方法はないんですか?」と聞かれたときに、「じゃあ、他に方法があるとしたらどんな方法があり得るだろう?」と問うたら、「確かに、他に思いつきません」と生徒は言っていました。


ウィルヒョウ以前には、自然発生説を含め様々な可能性が論じられていたと思いますが、生徒は、今持っている知識・理解をベースに考えれば、この命題に対して、ある程度までは推測できるのではないかと思っています。


問題は、「考え抜く」前に「答えを求めてしまう」ことにあると思います。
ただし、「考え抜く」ためには、「考えたい」と思える興味・関心と、「考えれば何か思いつくかもしれない」という有効感が必要な気がします。


教員の課題設定も、「考え抜く」要素を意識する必要があると感じています。
いわゆる「クローズな問い」についてもですが、「オープンエンドな問い」も重要です。