「問題」は本当に問題か

「思考の囚われ」と「まなざしの歪み」を認知せよ!? 大学で学ぶことで身につけられるものとは何か?


目の前の「問題」は、本当に「問題」なのか?
前提から疑ってかかるような思考は重要です。
前提が間違っていると、その後の思考や決断が正しければ正しいほど、大きな間違いにつながりかねません。


「同じ大きさのズレ」でも、中心に近い時のものは、その後とんでもなく大きなズレになりうるのです。


以下、引用
”かわりに何を問うのかと申しますと、
「Aという事象を問題だと認識したのはなぜか? なぜ、わたしたちはAという事象に"問題"のレッテル貼り(ラヴェリング)を行ったのか?」
を問います。
もう少しいうと、
「Aという事象を問題だと認識した、わたしたちが囚われている視座とは何か?」
「Aという事象を問題解決しようとする、わたしたちの認識のうち、歪みがあるものはないか? 本当は覆い隠されているものは何か?」
を問います。このように「問題A」のさらに上部にいったん「上がり(メタ)」、問題Aを見つめる自己、そして視座自身を問うのが、いわゆる「メタ思考」です。”

”しかし、僕自身は、大学や大学院で学ぶことの意味は、こうした「抽象に向かう思考の癖」「メタに向かう思考の癖」を身につけることだと信じていますし、これからも、今後も、そういう風に学生の皆さんと対峙していきたいと考えています。”