失敗経験をどう語るか

今日は、ある生徒の推薦入試の指導を行いました。
今までの推薦入試でも見られたいくつかの傾向があったので、シェアさせていただきます。


●「失敗経験」を隠そうとする
人生の決断、行動で「失敗した」と思うことはできる限り触れずになかったことにしたい。


<大野のコメント>
以前に小池勝也さんに教えていただいた「意図的機会」と「創発的機会」の話。
「こうしよう」と思って、その通りに得られた機会が「意図的機会」。
おそらく、それを得て、さらのその後成長できたということを「成功」ととらえ、よいことだと思っている。
しかし、それだけが全てではない。
むしろ、思った通りにならなかった時に得る「創発的機会」が人生のターニングポイントになることが多い。
ここをどのように活かし、その後の人生につなげていけるのか、それが重要(=創発的)。
「思った通り」ではないからこそ生まれる成長。
「非意図的機会」を「創発的機会」ととらえることで人間は大きく成長することができる。


日本は、「失敗」をさせないような教育をし、社会には「失敗」を許さない空気がある。
そのため、過度に「失敗」をおそれる傾向がある。
しかし、「失敗」のないところに大きな成長はない。
だから、失敗経験は、隠すべきものではなく、むしろそれをオープンにし、それをどのように「創発的機会」と昇華させていったのかを語れることが重要


仮に創発的機会とできなかった場合でも、その失敗からどのような「学び」があったかが語れればよい。
失敗経験は、「完璧な人生と完璧な自分」を語るためにマイナスではなく、むしろ逆だととらえてアピールの一つとしたい。


※今回のケースでは・・・
ある塾に通ったことで得られるものがなく、「失敗」だったから語りたくないということでした。
しかし、
・本当にそこで得られるものは何もなかったか?
・意図したものとは違っても何か新しい知識や人との出会いから刺激を受けたりしなかったか?
・単なる「失敗」だとして、そこから得た学び(事前の下調べをもっとしようetc...)などは何もなかったか?
と聞いたら、塾で出会ったある人から聞いた話から刺激を受けて、意図したものではない違った学びへの意欲が喚起され、次の行動につながったというエピソードが出てきました。
この生徒は、しっかりと「創発的機会」に昇華できたということです。
同じ物事でも、振り返りによって本質が変わることもあります。
「失敗はダメ」という狭い価値観で自分のしてきたことを卑下することは非生産的です。
そこに気付くだけで今までの経験も、これからの人生も意味深くなると思います。