「目的」をつきつめてみれば

「手段」と「目的」について記した過去の文章を2つ紹介させていただきます。

①2013年11月5日 英語は「ツール」である

<ここで伝えたいこと>
●英語を学ぶ目的は、入試で点数を取ることではなく、世界を広げる「ツール」を手にすることである。
●拙い英語で恥ずかしくても、「つながることの価値」を知っていれば、恐れず世界に飛び込んでいくことも必要である。

 

それでは、事例を紹介します。
「Brain Facts」という、アメリカの神経学会が作った冊子があります。
これに関しては後日詳しく紹介したいのですが、Websiteの「冊子を紙のコピーとして無料でもらえる」という一文を見て、「日本からでも注文できるかなぁ?」と思ってメールしてみたのが以下の文です。

 

I teach biology in a highschool in Japan.
 I saw a website of "Brain Facts" and found this message.

 Educators can request a free paperback copy of the 2012 version of Brain Facts by emailing BAW@SfN.org.

 I want this, but can I request from Japan?
 If there is a problem, I'm going to study using website.
 But if I can get a paper copy, it will accelerate my study.

 

すると、以下のような返信をいただきました。

 

Hi Tomohisa,

 Thank you for contacting the Society for Neuroscience.
 Unfortunately, we are unable to ship books overseas.
 I would suggest downloading the PDF version of the book.
 Here is the direct link to the PDF, which can be found at www.brainfacts.org/book.
 Perhaps you could print the PDF to have a hands-on copy.
 I’m sorry I couldn’t be of more help!

 Best,
 Alex

 

ということで、結果は残念だったわけですが、拙い英語でも恐れずにメールを書いてみれば、アメリカの学会からだって返信は来るし対応してもらえたのです。
もしかしたら、ここで新しいつながりができたかもしれません。


 「つながることの価値」を知り、「踏み出す勇気」さえもてれば、けっこう世界は広がります。
そのときに、英語は「使えるツール」なのです。

 「英語を勉強すると、けっこういいことありますよ」というメッセージとして生徒にも伝えたいと思います。

②2013年12月14日 「目的」をつきつめてみれば

「英語を学ぶこと」は、「ツールの獲得」ということであって、それ自体は目的ではないのである、という記事を以前に書きました。

 

ある卒業生が、その記事に対して、「英語を学ぶこと」の目的は「人との繋がりツールの獲得」だと言いました。

例えば、ぱつきんのおねーちゃんとお話できるとか、そういったことにも使えるし、モチベーションになるね、ということです。

こう考えれば、確かに「英語はツールだ」という側面がはっきりしてきます。

 

でも、それと同じ議論が「人と繋がること」に対しても言えると思います。

つまり、「人を繋がること」は、他の何かの目的を達成するための手段であって、それ自体は目的にならないのではないかということです。

それでは、「自分の知らない知識や価値観との出会い」のために「人と繋がること」が必要だという風に考えればどうでしょうか?

ここでも結局は同じ議論にならざるを得ません。

何のために「自分の知らない知識や価値観との出会い」が必要なのか?

 

ここまで考えてみて、さて、この論に終わりはあるかと考えましたが、とてつもなくシンプルな解にたどりつきました。それは

●幸せになるため

なのでしょう。

 

最終的にここにつながれば、それで十分だろうし、逆に本人も無意識かもしれないですが、基本的には皆この着地点に向かっているのではないでしょうか?

 

例えば、最初の「英語を学ぶこと」ですが、その行為自体にとてつもない喜びを感じて、そのことがその人の幸せに直結していることもあるでしょう。

その時には、「目的の目的探し」は終了するわけです。

「目的の目的探し」をどこまでつきつめて行くと、自分の幸せに繋がっていくのか、深くたどってみるということは大事なことのように思えます。

 

昔から、「結局のところ、いい人生って何なんだろう?」と考えてきて、僕自身の納得解は、「死ぬ時に満足できる人生はいい人生」というものでした。

でも、今は少し違っています。

「小さな幸せをたくさん感じながら日々を積み重ねていくこと。そして、最終的に死ぬ時にもそんな幸せを振り返れること」が、僕の「目的の目的探し」の終点な気がします。

 

川又さんがタマリバで主催している「楽しく生きる技術論」というのも、最初は不思議なタイトルに思えましたが、「楽しく生きる」はある意味では普遍的な「目的の目的」になっているのかもしれません。

そして、大事なのは、楽しく生きる「技術」。僕はこれを、「幸せの感受性を高める」と表現し、自分の納得解としています。

 

卒業生に送る言葉を求められたとき、ずっと書いてきたMr.Childrenの旅立ちの唄という曲の歌詞。

 

今が大好きだって躊躇などしないで言えるそんな風に日々を刻んで行こうどんな場所にいても

 

これも、実は同じことなんじゃないかと思えました。

同じものを経験しても、心の構えで受け取り方は変わります。

だったら、多くの状況で幸せを感じられるように、「幸せの感受性を高める」ことができればいいわけで、そんなことが歌詞に含まれているように思えてきました。

 

『学び合い』では、「子どもの一生涯の幸せ」の実現を目指します。

そのために「一人も見捨てない」ことが極めて重要なわけですが、これも、「幸せの感受性を高める」ことにつながっているのでしょう。

これについては、大きなテーマなので別な機会にこれまでの思考をあらためてしっかりとまとめてみたいと思います。

 

「幸せになれるのなら、なんだって許容すべきか」という問いに関してはこんなことを考えてみました。

例えば、いつも何かにイライラしていたりしたら、そのイライラしている時間、あるいはその気持ちが表出した行為の「目的の目的」は幸せになるためにつながらないのではないでしょうか。

 

「イライラする」

なんのために?

「自分の気持ちを抑えきれなくて出してしまっている」

何のために?

「そうする他ない」

それはあなたの幸せにどうつながっているのか?

 

何を持って幸せとするかは人それぞれです。

しかし、できることなら、人生で自分が過ごす時間の「目的の目的探し」が「幸せになるため」につながっているようなことに多くの時間を使いたいと思います。

そして、生徒を始め、僕と関わっている全ての皆さんにそうあってほしいと思っています。

 

教育によって生徒に伝えたいもの。

●知識 knowledge

●スキル skill

●心の構え mind

中でも、どんなmindで毎日を過ごすかが、幸せの感受性を高めることに直結しているように思えてなりません。

知識があっても、スキルはあっても、世界をどう捉え、どう受け止めるかという心の構えがなければ「幸せ」を感じにくいと思います。

 

毎日の小さな幸せを感じることができる能力。

これを是非生徒に伝えたい。

でも、これは単に言語的に伝えるだけでは不十分なのです。

 

だから、教師の仕事は、

●「世界」を見せること

●適切な「場」を提供すること

に集約されるのだと思います。

 

『学び合い』の最大の魅力は、全ての活動を「幸せの感受性を高める」ための貴重な「場」ととらえ、つなげることができる点にあると思います。

高校生は部活動で成長できるし、部活動以上の学びの「場」はない。

部活にいそしんだ自分はそんなことを思っていたりもしましたが、そんなことはないのです。

「部活動」だけでなく「授業」も「行事」も、なんでもない日常生活だって、『学び合い』では貴重な「場」に変容するのです。

そこにある活動の「目的の目的探し」の終着点は、いつだって「幸せになるため」。

 

シンプルだけれど強力な結論。大切にしたい考え方なので、「ノート」に残しておこうと思います。

 

<いただいたコメント>

A先生

今、学校のツイッターボード(授業公開や教科間連携授業などを宣伝するボード)に、「なぜ、ヒトはつながると愉しい、幸せだ、などと感じるのでしょうか?」と問いを書いたことがあります。

大したことでなくても、ふと人とわかり合えた、共有できた、と思うだけで、ふるふるふる、と心がふるえます。

わくわく、した幸せな気持ちです。

進化の過程で、そういう「つながり」を実感したとき喜びを感じる人は、知識や人とのつながりが多く、そのゆえに、危機を乗り越え生き残る可能性が高く、結果として「つながるとワクワク」性質が引き継がれてきたのかしらねーと今は思っています。

 

B先生

知識を体とすれば、まさしく心技体。

「部活動だけ」は、人と世界の多様性の幅に制限を設けてしまいますね。部活人間として、今、実感中。

 

C先生

美智子さまの名言で、
「幸せな子」を育てるのではなく
 どんな境遇におかれても「幸せになれる子」を育てたい。

とうのがあって、この言葉を知ってから、私自身のキャリア教育の目標は、この言葉になりました。
主体的にシアワセを感受できる子、それは子どもだけでなく、すべての人間にとって
必要な技術なのだと思っています。

それと、ここにコメントするのも、なんですが、2年近くまえに、『学び合い』と出会い、こうして色々な先生方や様々な業種の人に会い、人と人とつながることの大切さを実感しました。

人との交流の中で生まれる心の「ふるふる」は、体験してみなければわからないもの。

今までの人生の中で、常に一人でそこそこ何でもできて、関わりを求めていなかった私にとって、『学び合い』を通じた出会いから、たくさんの人生の「学び」を得ました。

 

A先生

良かったなあ・・・・(T_T)本当に。

そう、私自身も 自分が『学び合い』で視野が開けて、幸せを感じることができた。

これが証拠であり、モチベーションとなっています。

いろんな意味で、新しい「結婚」(出会いや視野が広がること)がありますね。

「どんな境遇におかれても幸せになれる子」は、ものすごくしっくりきます。

そう。

境遇は運命であったりして、それは生物は誰も逃れられないものがあります。

そこでどう生きるか。

生き抜くか。

どう受け止めるか。

生物学的にもしっくりきました。