「ルールが変わる」ことへの認識

会社の中での「社員教育」に関する2つのブログ記事から考えることがありました。

 

1つは、東大の中原先生のブログ

ここでは、「出来る人」が「出来なかった自分」を思い出せないことから生じるトラブルについて書かれています。
そして、解決策として、「新入社員が“出来ないこと”を“出来る人”に説明する」ことを挙げています。
一部を引用します。

 

「学校」では「先達は機会均等に人を育てることをよしとする」かもしれませんが、「社会」では「先達は見所のある前向きな人を育てる」のです。「ルールが既に変わっていること」に気をつけなければなりません。

 

もう1つは、Z会の寺西さんのブログです。
ここでは、会社での社員教育が「あなたのため」ではなく「組織のため」が先にあると述べられています。
一部を引用します。

 

大学生のときは、先生から教えてもらえます。
大学生側がお金を払っているわけですから、当然です。
社会人になると、自分がお金をもらう立場になります。
だったら、本質的に、「教えてもらえる」わけはありません。
主体的な新入社員、そして若手社員には、自分は先輩として、存分に時間をとります。

 

この2つのブログを読み、共通していることは、「学習者が受け身ではなく主体的に学習しなければならない」ということであり、それが社会人として要求されるということです。
このことがなぜ問題になるのでしょうか。
それは、社会人になるまでに、ここでいうような水準での「主体的な学び」の意識づけと体験がなかったということなのでしょう。
ですから、そのような場合には、学生時分と社会人とで「ルールが変わった」ことになってしまいます。

 

根本的には、「主体的な学び」の意識づけと体験ができるように、初等・中等教育段階から取り組む必要があると思います。
「受け身のままの学習」で高校受験も大学受験も、そして時には就職活動までも乗り切れてしまう状況を生み出してしまっていることは教育現場として考えるべきことでしょう。

 

これに加えて、ここでは、「主体的な学びが要求される」という世界を認識し、「ルールが変わった」ことに気付けないことが重要なポイントだと思います。
「自分が生きてきた世界の中の常識・ルール」は、最初は「家庭のルール」が大きく、やがて「学校のルール」や「部活のルール」などに触れることになっても、それはとても狭い世界のものであるかもしれません。

 

そうした、「自分の常識・ルール」が、様々な「他の常識・ルール」に触れて揺さぶられることにより、「自分の常識・ルール」が相対化されていくのだと思います。
そういう発想を持てていれば、「ルールが変わった」ことを認識し、そのルールに適応していくこともできるのだと思います。
この意味では、若いうちの海外体験(短期でも長期でも)は価値あることだと思います。
しかし、多くの学生にとっては、このような機会が少ないことも大きいように感じます。

 

それでは、どうすればよいのか。
中学校には「黄金の三日間」あるいは「黄金の一週間」という考え方があります。
これは、入学した中学一年生に最初に何を語るかでその後が大きく左右される、最も重要な期間であることを表現したものです。
このとき、「ルールが変わった」ことを認識させ、かつ「君たちは立派にできる」という安心を与えることで、その後の中学生活に前向きに向かってもらうことが大きな目標となります。
実際に、この期間の指導はとても重要だということです。
これは一つのヒントになるのではないでしょうか。

 

中学入学時だけではなく、高校入学時、その後も、何かが「変わった」ときにその変化を「伝える」ことと「感じ取る」ことがお互いにできたときに、その変化に対応して動いていけるのかもしれません。
それは、細胞同士が適切なタイミングで情報伝達を行う際、情報の「送り手」が情報伝達物質を分泌し、情報の「受け手」がそれを受け取るための受容体を用意しておくことに似ているのかもしれません。
あるいは、「卒啄同時」かもしれません。

 

新入社員の「心の構え」の問題を、教育する側のみにも、新入社員側のみにも帰結したくはありません。
実際のところ、学校と同じで「個に応じた指導」が大切にもなってくると思います。
そして、何より僕自身はその世界にコミットできません。
現場の教員としてできることは、「主体的な学びの姿勢」の重要性とともに、「ルールは変わる」という当たり前のこともしっかりと伝え、その変化に対応できる柔軟性を培えるような場の提供をしていくことです。
地に足をつけて、実践していくより他ありません。