「時間」をどう使うのか

本を買うということに関する問題
 最近、つとに仕事が増えました。
 結婚という転機もありましたが、家でとにかくダラダラするだけの時間は激減しましたし、「インプット」も、Facebookがメインになっていて、あまり本も読めていません。
Facebookだけでも十分すぎるほどの情報をいただけていますし、十分すぎるほどの刺激もいただいています。
でも、やっぱり読書っていうのは、自分の中の「パラダイムシフト」にはとても有効なものだと自覚しています。
 実際に昨年も数は少ないですが、読んだ本から「パラダイムシフト」につながる大きな刺激を受けました。
さて、目下の問題は、

 

●読書時間が十分確保できていない
●「読みたい本」、「読むべき本」が未読のまま溜まっていく
●でも、書店を除くと思わず購入してしまう。

 

という点に集約されているのかなと思います。
この中から、三番目の問題について考えてみます。
つまり、「この状況がわかっているのに、なぜまた本を買いたくなるのか、あるいは実際に買ってしまうのか」という問題です。

 

 買う理由は、
●「よい本との出会いは一期一会。アンテナにひっかかったものはとりあえず買っておこう」という思考のクセ
●上記の発想で買っていっても他で贅沢していないから買えてしまうという状況
ということにあるではないかと思います。

 

「本を買うこと」は「時間を買うこと」

そんなことを考えているときに、「世界一受けたい授業」で、武田鉄也さんの授業を見ました。
そこで、中学入試問題としてこんな問題が紹介されていました。
 以下、HPからの引用です。

 

ある村の「けちんぼう」が大きな金の塊を手に入れました。その金をけちんぼうは穴に埋めて、毎日そこに行って眺めていました。ある日、いつも通りけちんぼうが金を眺めに行くと、金が盗まれていることに気づきます。けちんぼうは髪の毛をかきむしり、泣きわめきました。そんなけちんぼうを見て、村人が一言。
 「そんなに悲しまないで、その穴に石を埋めて、それを金だと思いなさい。だって???????だから」
さて、村人はなんと言ったでしょう?

麗澤中学校 入試問題(改)
http://www.ntv.co.jp/sekaju/onair/131214/01.html


解答例は、HPからご覧下さい。
この話から、「本を買うこと」について納得することがありました。


本は何のために買うのでしょうか?
もし「読むため」と考えるのであれば、「本を買う」という行為は即ち「それを読んでいる時の価値ある時間に投資する」ということなのだと思います。
だから、「本を買う」という行為は、経済的な投資だけではなく、その後の「時間の投資」を含んでいると自覚する必要があります。
実のところ、このへんのことに無頓着すぎたという反省からこの文章を書いています。

 

もし今の人生で、その本を読むのに使う2時間の時間を「無駄な投資」と思うのなら、その本は買うべきではないのかもしれません。
よくよく考えて、「時間を投資する価値がある」という確信、あるいは決意のもと、現実的にその時間を捻出できるときに、「本を買う」ことの意味があるのではないでしょうか。

 

そう考えれば、例えばブックオフで安さにかまけて何冊も本を買うという行為がいかに恐ろしいことか。
5冊買うということは、「これからの人生でこれらの本のために10時間投資する」という宣言だということだからです。
「読まない可能性が高いけどとりあえず持っておく」というのも一つの考え方です(特に何かのときの「資料」としての意味がある場合には有効)。
しかし、「資料としてではないし、そこそこの興味だけど、安いから買っておこう」というのは恐ろしい無駄です。
それは、先の記事で紹介させていただいた「金と石」の話そのものかもしれないからです。
さらによくないことには、なまじ少し時間ができたからといって、「そこそこの興味だけど安いから買っておいた」本を読んでしまったとしたら、それは「時間の投資」という観点からはさらに大きな無駄を含んでいる可能性があります。
今の自分に「真に必要な」あるいは「真に読みたいと思える」本がまだまだ「積読」になっているにも関わらず、「安くてそこそこいいものをゲットした」というちょっと得した意識から時間をとんでもなく浪費しているように思えるからです。

 

そう考えると、テレビもそうです。
テレビは面白いに決まっているのです。そういう風に仕掛けられているんですから。
「ちょっと面白そう」くらいの興味で結局がっつり見てしまったら、実はそれは経済的な浪費に勝る最大の浪費かもしれません。

 

この「時間を投資する」という考え方と、自分の生活を振り返ったときに思い当たる「時間の浪費」というもの。
これが、今の自分が向き合い考えるべき課題です。

 

よく「時間は誰にでも平等に与えられている」と言います。
いくら時間を浪費しても何とでもつじつまのあった頃は、そのことの意味をよくわかっていなかったのだと思います。
今は、この24時間に対して、何に対してどの程度投資するのかを考える必要があると思います。

 

だから、まずは自分の書棚にある「真に読むべき」あるいは「真に読みたい」本を手に取り、それを読むことから始めようと思います。
まだまだそこに自分にとっての「パラダイムシフトの種」が山ほどあるのでしょうから。


「贅沢な時間」と幸せ
「贅沢な時間」とは何なのでしょうか。
先の「与えられた24時間を効率よく投資して最大限効率よく使う」ということを考えると、その逆で「思いっきり時間を浪費する」というのは「贅沢な時間」なのではないでしょうか。

 

例えば、リゾートで何もせずのんびりする。
「対時間効果の最大化」というような効率重視の生き方からすれば、「とんでもない時間の浪費」です。
しかし、「自覚した上で、自らが積極的に時間を浪費する」というのは、すごく贅沢な時間のように思えます。

 

また、家でゴロゴロしている時間。
「何も生まずただ時間だけがダラダラと過ぎていく」のって、最高に贅沢な時間かもしれません。

 

だから、「誰もが平等に与えられている24時間」に対して、「自覚をした上でその時間を積極的に浪費しよう」というのが「贅沢な時間」の本体なのだと思います。
それが、その人の「幸せ」につながるのでしょう。
僕自身も、「自覚した上での積極的な時間の浪費」でバランスをとっているつもりです。

 

スティーブ・ジョブズの言葉にこんなものがあります。
「今日が人生最後の日だったら、 今日やろうとしていることを やりたいか?」

 

日々の24時間を、何に、どのように投資していきたいか?
読書の時間も、テレビを見る時間も、集中した時間も、ダラダラした時間も、「時間の投資」という感覚を持ちながら、だからといって息苦しくなく、自分が一番「幸せ」と思えるような時間を過ごしたいと思います。